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 私の著書『祖父たちの零戦』(講談社)に関連して、マル秘インタビュー記録の一部を公開してみる。
 禁転載、引用でお願いします。

 1998年のある日、坂井三郎さんとの会話記録から。
 坂井さんとは、米空母の艦上や池袋東急ハンズでバッタリとか、何度か別にお会いしているが、それ以外にのべ4回、計30時間のインタビューをしている。
 今回、その10数分ぐらいを公開。追加公開はしませんので、念のため。内容についてのご質問もご遠慮ください。

 文中、坂井さんがかなり歯に衣着せぬ物言いをされているが、坂井さんがボロクソにおっしゃる相手にも、敬愛する部下が大勢いることをあらかじめ申し上げておく。


坂井氏 「台南空の搭乗員の中では、西澤廣義がいちばんうまかったねえ。あとはそんなでもない。笹井醇一中尉も、後ろでわれわれが守っているからよかったんで、率直に言って操縦の腕はまだまだでした」
私 「はあ」
坂 「皆さん、太田敏夫を高く評価してくださるみたいだけど、あれは、そうでもなかったよ」
私 「でも、『皆さん高く評価』の元は、先生のご著書なんじゃないでしょうか」
坂 「まあね。(ニヤリ)まあ、書いたのは私じゃないから」
私 「それをおっしゃっていいんですか(笑)」
坂 「いいのいいの」
私 「他に印象に残っている方というと・・・」
坂 「台南空じゃないけど、同年兵の大石英男なんかうまかったね。誰よりもいちばん働いたのは角田和男さんじゃない?彼も亡くなったけどね」
私 「えええ~、ホントですか?角田さんに私、先週会ったばかりなんですが」
坂 「いや、亡くなったって聞いたよ」
私 「そりゃ大変だ!ちょっと電話してみます」
・・・・・・・電話の呼び出し音・・・・・・「はいー、つのーだですが」
私 「(よかった、角田さんの声だ)あ、こんにちは。神立です。お変わりございませんか?ご無事で何よりでした。いえ、ただお声が聞きたかったものですから。ではまた、失礼致します・・・・・・先生、角田さんちゃんと生きてらっしゃいましたよ」
坂 「あ、そう?じゃあ人違いか。おかしいな、最近音沙汰がないから死んだと思ってた。この齢になるとね、一、二年音信がないと死んだことにされちゃうんだよ」
私 「そんなムチャな。・・・・・・では、先生より搭乗歴の古い人で言うと・・・?」
坂 「黒岩利雄、赤松貞明、羽切松雄、武藤金義、あたりかな。三上一禧は腕はよかったが、開戦前に病気で離脱しちゃった。高塚寅一さん、山下小四郎さんは予備役応召のパイロットだったし・・・。樫村寛一なんかうまかったけどちょっと天狗になってたね」

私 「指揮官では・・・・」
坂 「いろいろいたよ。源田實、新郷英城、塚本祐造はとんでもない野郎でね、いまでも許す気になれない。志賀淑雄さんは優しすぎて、戦闘機隊のリーダーにはきつかったんじゃないか。すごかったのは相生高秀さん。あの人の腕力と、操縦のキレのよさには誰もかなわなかった。地上銃撃から機を引き起こすとき、ふつうは曲線を描いて上昇するけど、相生さんの機はぐっと直角に機首が起きるんだ。進藤三郎さんは、飾らないいい親分だった。鈴木實さんは人柄はいいが下士官兵とはあまり交わらない感じで、黒澤丈夫さんは搭乗員にはきびしい人だった」

私 「若い搭乗員はどうでしょう。ラバウルに途中で来たぐらいの・・・・」
坂 「あんなもん、まだまだジャクもいいところですよ。杉田庄一なんか乱暴なばかりで、とんでもないヤツだった。菅野直大尉なんか、みんなもてはやすけど、操縦はド下手でしたよ」
私 「じゃあ、若い人はみんなジャク、ということで」
坂 「あとから再会して、成長を感じたのもいましたよ。堀光雄とか平林真一なんか、だいぶうまくなってましたね」

私 「横空ではいかがですか」
坂 「小町ちゃんは腕がよかったねえ。彼とは仲がいいんですよ。(注:小町氏は「仲がよい」発言を全面否定)彼が先任搭乗員から、終戦直後に飛曹長になったときには、彼に士官帽や階級章をやったおぼえがありますよ」
私 「でも小町さんは20年6月に飛曹長に進級して、それから横空なので、先任搭乗員ではなかったと思いますが」
坂 「いいえ、横空最後の先任搭乗員は小町定です!」(注:これは坂井さんの完全なる勘違い。横空最後の先任搭乗員は大原亮治上飛曹で、終戦直後に飛曹長に進級し、坂井さんから帽子や階級章をもらったのも大原氏。小町氏、大原氏の携帯履歴、奉職履歴や現物で確認済み。)

私 「ところで、撃墜機数について、先生は自分から何機墜としたとは言ったことがない、と仰ってましたが、この数字はどこから出たんですか?」
坂 「アメリカで本を出す時に、宣伝文句がいるってことで作ったんですね。あたらずとも遠からず、というところで」
私 「64機と言えば、奇しくも、宮本武蔵の真剣勝負の回数と同じですね」
坂 「奇しくも、ね。(ニヤリ)その通りです」
私 「ではそこから・・・・」
坂 「数字を取りました」
私 「ってことは、つけたのはマーチン・ケイディンですか?」
坂 「いや、私は本を出す時、マーチン・ケイディンとは会ったこともないから。私のインタビューをしたフレッド・サイトウに、宮本武蔵のことを話したから、彼がケイディンに伝えたんでしょう。しかし、マーチン・ケイディンもでたらめな野郎でね、約束の印税が支払われてないんですよ」
私 「そうなんですか!」
坂 「よく、坂井は戦争をネタに金儲けしてるなんて陰口をきくやつがいるけど、とんでもない。最初の『坂井三郎空戦記録』、これは奥宮正武さんの紹介できた福林正之さんが書いたんだけど、会社が倒産して60万の印税の手形が不渡りだもんね。(保管していた不渡り手形を私に示しながら)昭和20年代の60万は大きいよ」

私 「では『大空のサムライ』は?」
坂 「あれを書いたのは高城肇さん。熱心でね、私の行けない戦友のうちにまで行って取材して書いてくれた。もともと戦闘機乗りが本なんて書けるはずがないんですから、これは秘密でもなんでもないんだよ。高城さんも言ってるでしょ?」
私 「はあ。おっしゃってます」
坂 「だから、森拾三や島川正明に、『お前らも書いてもらえ、残るから』って紹介したんです」
私 「それも伺ってます。このへんのことは、私の本にこの先書いていいですか」
坂 「もちろん。秘密じゃないんだから。『天下一家の会』のことも話したけど、あれも書いてくれて構わない。やってきたことだからね」
私 「でもまあ、ゴーストライターって言葉は聞こえがよくないから、書くときは表現を工夫します。ところで近年、講談社から立て続けに本を出されていますが、これらはどうなんでしょう?」

坂 「いま講談社から出してる三部作、これは全部、自分で書いてる。だいぶ編集に手を入れてもらってるけどね。編集者のAさん(女性)には頭が上がらないよ」
私 「(原稿を見せてもらいながら)ほんとだ、升目も罫線もない紙で・・・・・・几帳面な字ですね。文章も・・・・・・」
坂 「門前の小僧でね、たくさん書いてもらってるうちに、なんとなく書くコツを飲み込んじゃったね」


・・・・・・以上、13年前のある日の、坂井さん自宅インタビューからの抜粋でした。







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