答えは【問題】にある
先日、スコーレ・ロゴス塾において高校入試問題研究所による5教科のテストを実施した。息子の国語の不出来に目を疑った。不出来以上に考え悩んだ形跡が見受けられないのが全く信じられなかった。【諦めた解答用紙】だった。50分間を戦いきった跡がなかった。
最近の私の息子は錦織健氏のオペラやカンツォーネより、ビートルズに夢中になっていた。「歌だけじゃなくて真面目にピアノを習っておけばよかったなぁ。音譜も読めないし…。」と言った。驚いた私は「読めないでどうして歌えるの?!」と聞いた。「【音】で分かるから歌は困らないんだけど。昨日、新しく友達になったピアノが弾けるけど歌が苦手な○○という男子に音譜を習ったんだ。」と話していた。話は数ヶ月先の文化祭のメインイベントの合唱祭に及ぶ。
趣味は持っていい。問題なのは、やるべき時にやるべきことを集中しない勉強の取り組みがあった。おろそかにしていた。それこそ息子は高をくくっていた。
もう一度同じ国語の問題を昨日させた。私は「いい?いつも言ってることだけれど、問題に答えが見えているからそれを絶対に見過ごさないこと。70%は問題に答えがあると思って解いてごらん。教えるのはその後でするから。」と言い始めさせた。結果は16点も上回った。
文学的文章の読解に20分はかけられない。いいところ18分程だ。この時間配分では難解だと思う。ラスト5分で空欄が目立った。「何が分からないのか書きなさい。」と指示をした。50分後の息子はげっそりしていた。心身困憊な状態の息子を久しぶりに見て、思わず笑ってしまった。真剣に向き合ったことが見て取れた。
随筆文の指導に入った。アンネ・フランクに対する思いが述べられた文章で、<心情>理解は出来るが、<内容>理解が苦手なようだ。随筆は論説文と違い観点が少々飛んでいることが多い。それが難しさを与えている。内容を理解するためには綴られていることがアンネなのか、現在か過去の筆者自身についてなのか、または読者についてなのかをくくって考えないと解けないだろう。
問題に答えがあるという意味は大概の全国一斉テストランクでは問題の提示と文章の表現は語句を変えて表しているからだ。主語も忘れてはならないが、特に語尾に着目するパターンが多い。【表現を捉える力】はやはり日頃の読書が近道か、或いは詰め込み教育の世代の私たちがこういったテストを1ヶ月半〜2ヶ月の割合で受けていたように、“慣れ”が必要だと思う。慣れっ子になると、何を問われているのかがすぐに分かり、探し出せる。挑む自分が楽になる。勘が働き、恐らくここの表現は“何かある”という文章箇所が自分で分かってくる。そうなればしめたものだ。その部分を自分で問題の文章にチェックを入れたらいい。問題用紙は汚していい。汚れた問題用紙は戦った現われだから。いかに早く的確に見つけ出せるかが勝負の分かれ道だ。
『答えは【問題】にある』というタイトルは後から付けたが言い得て妙だ。虐め問題を指しているようだと思った。私たちからすると【答え】は今まさに起きている【目の前の問題】だからだ。こんなこともそのXX地域のいい大人たちが一生分からないのでは負のスパイラルはなくならないはずだ。
私の文章は“ストレート”と自負しています。今日の私の最後の文章表現は少々“斜め”だけれど、読み取れますか。
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〜補足です〜
慣れっ子になるための【テクニック】は他にもありますがそれはここでは教えません。
(面接の【極意】や【打破】なんかはまさにそうだよね。見ていてすごいでしょ。)
可愛い塾生には教えるけれど。
これが差別ではなく区別です。
2011/4/16(土) 午後 8:09