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知の拠点セミナー

「ウナギ、この不可思議なるもの」(10月21日開催)

東京大学大気海洋研究所・塚本勝巳教授

なぜ回遊をするのか

講演する塚本勝巳教授(池谷美帆撮影)

 私は魚類の回遊現象を研究してきた。つまり魚の旅だ。なぜ危険を冒して旅をし、そしてわざわざ帰ってくるのか。それを知りたいというのが私の根源的な問いだ。

 回遊は、A地点からB地点に行き、戻ってくること。必要な条件は三つある。ひとつは、運動能力。次に、行くべき方向を定める方位決定能力。3番目は「動因」だ。動因は、動物をある行動に駆り立てる内部要因と定義されており、これがなければ旅は始まらない。モチベーション、つまりやる気で、私は、これが三つの中で最も大切なものだと思う。動因は旅の直前に起こり、旅の間中続く。

 では回遊の原型は何か。それは、今いる場所からの脱出ではないかと考えている。例えばアユをたらいに入れ、水温を上げると、ひとかたまりになっていたのが外側にドーナツ状に泳ぐようになり、そのうちに外に飛び出す行動が起こる。これは水流や落水などの刺激がなくても起こる。

 脱出は、餌や水温、光、捕食者、塩分など、様々な環境ストレス要因が引き起こしうる。運動能力や方向決定能力、長旅に備えた体の変化などが見られるようになり、回遊行動に変わる。ウナギでは、回遊の準備ができると、銀色のグアニン色素が腹にたまり、海では下から見えにくくなる。川に定着している時のウナギは昼間は寝ているが、回遊期を迎えると昼も活動するようになる。

 一番古いのはボルネオ島のウナギで、1億年ほど前からいたらしい。昔、ボルネオの川にいたウナギが何かのきっかけで海に行って産卵し、生まれた稚魚の育ちがよく、だんだん川に戻ってくる性質がついてきたのが、回遊の始まりではないかと考えている。これが西に行ったものがアフリカウナギとヨーロッパウナギになり、北に向かったのがニホンウナギになったというシナリオが考えられる。

ウナギのふるさと

ウナギの生活史(塚本教授提供)

 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、ウナギは泥の中から自然発生すると唱えていた。卵も稚魚も見つからなかったからで、日本でも明治時代の新聞に、上半身がウナギ、下半身がヤマイモという図が描かれているなど、その一生は長らく謎に包まれていた。

 ウナギは海で生まれ、孵化直後はプレレプトセファルスと呼ばれる。その後、柳の葉のように平らで透明なレプトセファルスという体長6センチほどの稚魚に育つ。河口に着くころには、体は透明な部分が残るものの、形は親とほぼ同じシラスウナギに変化し、体はさらに黒くなったクロコになって川を上る、その後、黄色みを帯びたキウナギは10年ほど定着し、海へ戻る前には腹が銀色のギンウナギになる。再び海に戻って産卵すると一生を終える。

ニホンウナギの回遊(塚本教授提供)

 レプトセファルスの断面は葉っぱのように薄く、筋肉が1層あるだけ。あとはグリコサミノグリカンという物質で出来ている。これはヒアルロン酸などの仲間で、保水性が高く、栄養にもなる。レプトセファルスの体液は、塩分を排出する細胞の働きで塩分濃度は海水の半分ほどになる。比重が小さくなるので、レプトセファルスは海面に浮き上がる。シラスウナギへの変態が始まるとグリコサミノグリカンは失われて重くなり海流から離れる。

 ウナギのふるさとを世界で最初に探ったのは、デンマークの海洋学者のヨハネス・シュミットで、20世紀前半のことだ。大西洋での調査では、レプトセファルスの大きさをもとに海域を絞り込み、ふるさとは、大西洋西部のサルガッソー海であると結論づけた。しかし、シュミット博士は卵も親ウナギもつかまえるまでには至らなかった。

 日本の研究者による産卵場所探しは1930年代に始まり、60年代には沖縄沖だと推測されていた。73年には東大が呼びかけ、研究船による産卵場所探しの航海が始まった。これは大学間の共同研究の嚆矢(こうし)とも言えるもので、6大学の研究者が集まった。当時私は大学院生で参加した。

ウナギの内耳で成長する耳石(塚本教授提供)

 航海を重ねるうちに、だんだん小さなレプトセファルスが見つかるようになった。91年には10ミリのものがマリアナ沖で見つかり、産卵場所がほぼわかったと、科学誌ネイチャーで発表した。しかしこの後、数ミリのプレレプトセファルスが見つかるまでに14年かかった。なぜか。卵は狭い場所で生まれ、だんだん広がるからだ。サイズが小さな稚魚ほど狭い場所にかたまり、見つかる確率はどんどん小さくなる。

 とはいえ、海でウナギのオスとメスが出会うには明らかな目印があるはず。そこで、場所として「海山仮説」、時期として「新月仮説」を考えた。

 それまでに、レプトセファルスが採取できた場所とサイズから、産卵場所は東経142〜143度と推測し、そこに南北に並ぶ三つの海山を見つけた。海山の周りには水温の変化、湧昇流、磁気異常などがあり、目印になるはずだと考えた。また、時期に関しては、レプトセファルスの内耳には耳石があり、年輪のように1日1本成長している。これを分析したところ、誕生は夏の新月のころであることがわかった。

研究船「白鳳丸」に搭載されている採取ネット(塚本教授提供)

 2005年6月7日、新月のスルガ海山近くでプレレプトセファルスを400匹取った。世界初のプレレプトセファルスの確認だ。この時絞り込みのため考えた条件は、海山列の中で、塩分濃度の違う水の塊が出会う境、東西に広がる「塩分フロント」が目印になっているのではないかというものだ。つまり、新月の夜に、海山の塩分フロントの南に行けばつかまるのではないかと考えた。

ニホンウナギの卵。大きさは約1ミリほど(塚本教授提供)

 とはいえ、卵の発見は、稚魚を見つけるのよりもさらに難しい。卵は1日半で孵化(ふか)してしまうから、チャンスはその間だけ。また、卵がある範囲も狭い。親ウナギ10万匹がいるとしたら、1辺が10メートルの立方体の中にいないと見つけられない。調査に必要な海域は山手線の内側ぐらいまで絞り込めたが、採取用ネットを通る海水の量は東京ドーム2杯分でしかない。当たる確率は天文学的な小ささだ。

 しかし2009年にとうとう見つかった。5月22日、新月の2日前に卵が採取できた。ここで、ウナギの親魚(ギンウナギ)も見つかった。今年6月29日にも再び卵が取れた。場所は塩分フロントと海山列の交点で、新月の2日前。私たちの仮説は見事に当たった。

「面白い」から「役に立つ」へ

 ウナギの産卵場所はついに突き止められた。ただし「頂上」に立つとさらに高い山が見つかるものだ。次はウナギの産卵行動を見てみたい。また、ニホンウナギが産卵のためマリアナ海溝に帰る道筋の解明も課題の一つ。さらに、ウナギのオスとメスがどうしてここで出会うのかも知りたい。

 ウナギは不可思議だから面白い。でも、面白いから研究できる、という時代は終わった。今、ウナギ資源は激減し、ヨーロッパウナギは絶滅危惧種になっている。ワシントン条約で輸出規制もかかった。そこで、15年前から東アジアウナギ資源協議会を立ち上げて、研究者とウナギ業界の人たちが集まって会議をしている。今、ウナギが戻ってくる「カムバック・イール」を提唱している。日本でも四つの河川に広がり、100年間これを続けてウナギのサンクチュアリを作りたい。

質疑応答


:インド洋にもウナギはいるのか?
:5種類ぐらいいる。インド洋と太平洋はつながっていたから。インド洋で独自の進化をとげたウナギもいるが調査は遅れている。

:ヨーロッパウナギ、アメリカウナギの産卵はどこまで解明されているのか?
:太平洋と大西洋(サルガッソー海)の違いは、サルガッソーには海山がないこと。大西洋は水温が低く耳石が育ちにくいため、耳石を調べる手法は、大西洋の調査では採用しておらず、わかっていないことが多い。できれば大西洋に行って調査してみたい。

:新月仮説だが、海の中にいるウナギに月は見えないのではないか?
:ギンウナギが回遊するとき、水深200メートルまで上がってくる。ウナギの目は、人間に比べて、はるかに弱い光でも感じることができるので、夜ごとに上がってくるのであれば、月の満ち欠けのリズムは必ずわかると思う。

:塩分フロントは、その日によって動くのではないか?
:その通り。月、年によっても変わる。東西に塩分フロントはあって、エルニーニョだと、境目が不明瞭になる傾向がある。調査ではまず、海山に沿って動き、最後は観測機器でフロントを探している。

塚本勝巳(つかもと・かつみ)
 東京大大学院農学系研究科水産学専攻博士課程中退。1994年、東大海洋研究所(現大気海洋研究所)教授。専攻は海洋生物学。


研究所は大学の「顔」


西田睦・東京大学大気海洋研究所教授(前国立大学共同利用・共同研究拠点協議会長)

西田睦・東京大学大気海洋研究所教授

 どの大学にも文学、工学、医学などの学部や大学院があるが、研究所や研究センターは、そこにしかない大学の「顔」のようなもの。京都大学といえばサル学(霊長類研究所)だし、東京大学にも大気海洋研究所などがある。これらの施設は、全国の研究者が大学の枠を超えて共同利用する拠点として活用されている。知の拠点セミナーは、これらの拠点での研究内容を、一般の方々に伝えていこうと企画した。全国の研究者が東京・品川に来て、学術研究の最前線を発信していく。

2011年10月28日  読売新聞)

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