「生物による異物認識の原点」(12月16日開催)大阪大学産業科学研究所 山口明人所長 地球上の生物は、細胞という基礎単位からできている。細胞は、細胞膜で覆われているが、その外側には有害な物質(異物)がたくさんある。細胞には、中に侵入してくる有害物質を排除する装置が備わっている。それが膜たんぱく質の一種、「異物排出たんぱく質」だ。 異物排出たんぱく質は、細胞が生まれた時から、なくてはならない機能だ。ところが、一つのたんぱく質では基本的に、たくさんの種類がある異物をそれぞれ認識することはできないはず。それが、多くの種類の異物をどのように認識して排出するのだろうか。これを研究することは大きな挑戦になる。 異物排出たんぱく質は、三つの代表的なグループに分けられる。私たちのチームは、グラム陰性細菌が持つ「RND型」と呼ばれる異物排出たんぱく質の解析に挑んだ。 ところが、このたんぱく質の結晶を突きとめることは世界で前例がなく、1996年から5年間は全く成果が出なかった。研究室のスタッフが、物質の構造解析などを行う大型放射光施設「スプリング―8」を使ってひたすら探索を続けた。2002年に世界で初めて、マッシュルームの形をした「AcrB結晶」というたんぱく質を捉えることができた。 結晶構造を調べたところ、同じ形をした三つのたんぱく質の断片がくっついてできていることが分かった。「三量体」といって、同じものが三つ並んでいる。 この構造を見つけたことで何が分かったのか。三量体の横と上部に穴があいている。実は、これらの穴はつながっていて、異物が排出される際の通り道になっていたのだ。 では、どうやって異物認識を行い、この通り道を使って排出しているのか。 細胞膜は、「脂質二重層」という水を通さない膜でできている。糖とかアミノ酸などの細胞にとって必要な物質に関しては、細胞膜を貫通する専用の入り口が用意されていて、そこを通って細胞質に入る。異物は、この脂質二重層の中に無理やり入ってくるが、専用の入り口がないので細胞質に入れない。つまり、脂質二重層には異物だけしかない。異物排出たんぱく質は、二重層にある物質を見境なく排除すればいい。 学生に講義する時、いつも例え話をする。大都市では毎日ゴミがたくさん出るが、ゴミとゴミでない物をどうやって区別するのか。ゴミ収集員は単に、ゴミ置き場にある物を集めていくだけだ。異物排出たんぱく質も、ゴミ収集と同じような仕組み。異物をそれぞれ識別するのではなく、細胞膜にある物を手当たり次第に排出する。 さて、本来たんぱく質は特定の物質しか認識できないはずだ。しかし、異物排出たんぱく質は、多くの種類がある異物を全部取り込むことができる。なぜ、そうしたことができるのか。 多くの種類の異物を取り込む仕組みを解明するには、実際に薬剤を取り込んだ状態を見ないといけない。そのためには、異物を結合させて結晶を作ればいいと考えた。 5年間かけて、37種類の薬剤の実験を行った。その結果、「ミノサイクリン」と「ドキソルビシン」という2種類の薬剤が結合した構造が分かった。非常に意外だったのは、三つのたんぱく質断片が組み合わさった三量体に微妙な違いを見つけた点。それぞれの断片は形が微妙に違うのだ。全く同じ物だと思っていたが、薬剤が結合するのはそのうち一つだけだった。全く同じ物だったら三つとも結合してもよさそうだ。 この研究で詳しく調べた結果、薬剤の通り道があいているものがある一方、閉じているものもあることが判明した。どうやら薬剤を排出する過程で、これら三つは変化するということが分かった。これらを役割に応じて、「結合型モノマー」「排出型モノマー」「待機型モノマー」と、それぞれ名付けた。 たった1個のたんぱく質が、非常に多くの種類の薬剤を認識して結合する時、一番素直に考えたらどういう仕組みを思いつくだろうか? 最初に予想したのは、結合する薬剤に応じて、結合する部位の構造が柔軟に変化するのではないか、ということだった。 びっくりしたのは、ミノサイクリンとドキソルビシンが結合する部分をよく観察したところ、予想に反して結合部分自体に変化は見られなかった。ただ、結合している部分の「形」が様々であることが分かった。大きなポケットがあって、その中に異なる種類のヒダがいくつも用意されているようなものだ。そのヒダを複数組み合わせて、薬剤と結合していたのだ。こうした結合方式を「マルチサイト結合」と呼んでいる。 ここまでの研究では、ミノサイクリンとドキソルビシンという、2種類の薬剤の結合構造を解析しただけだった。真面目に考えたら、あらゆる種類の薬剤の結合を解析しないと、本当にすべてを認識できているのか分からない。 2010年になってようやく、「リファンピシン」「エリスロマイシン」という、構成物質のサイズが比較的大きい薬剤の結合構造を解析することに成功した。この結果で意外だったのは、リファンピシンは、本来薬剤が結合する結合型モノマーではなくて、薬剤は結合しないと考えられていた待機型モノマーに結合していたことだ。 薬剤と結合しないから「待機型」だと思っていたのが、結合する役割が確認できた。どうやら、通り道が狭くて奥に入れない薬剤は、奥まで入らずに待機型モノマーにくっつくようだ。待機型モノマーは、薬剤と結合しないのではなく、薬剤の種類によっては結合できる。結合型モノマーの一種と言えるものだった。 さらに、エリスロマイシンの結合構造からは、異物排出たんぱく質がわずかに構造を変えていることも新たに突き止めた。たくさんの種類の結合部位が用意されているマルチサイト結合が基本だが、異物に合わせてたんぱく質の構造を微妙に変化させることもある。 異物排出たんぱく質は生物を守る防御システムだが、実はこれが近年、大変な問題を引き起こしている。緑のう菌などがこのたんぱく質を利用して、ほとんどの抗生物質(抗菌薬)が効かない「多剤耐性」になり、院内感染を引き起こしている。 新聞などで大きく報道されているが、近年、「多剤耐性緑のう菌」が出現している。この菌に効く治療薬は存在しない。日本感染症学会が対処のためのマニュアルを出しているが、多剤耐性緑のう菌の感染が疑われる場合には「安静にして体力の回復を待つ」としか書いてない。つまり、対処法がないということだ。こうした菌に効く薬を作るためには、異物排出たんぱく質のさらなる研究が欠かせない。 2002年から10年間、この分野の研究をリードすることができた。その理由を考えてみたところ、月並みなことかもしれないが、高い技術と着眼点が大事だと思う。研究室には、非常に品質の高い結晶を作れる研究者がいる。着眼点について言えば、高すぎず低すぎず、実現可能であり、かつ他の研究者が目をつけない目標を設定することだ。 私たちの研究室には、分子生物学と構造生物学の両方の専門家がいる。この二つは違う学問分野であり、同じ研究室に両分野の研究者が所属しているのは、世界的も例がないだろう。そういう意味では、強いチームが構成できている。 (画像はいずれも山口所長提供) Q 立体構造を解明した後にその機構を調べる時は、推理するのか、あるいはアミノ酸の構造から分かってしまうのか。 A 三量体の瞬間的な状態をつなぎ合わせると、それだけで、きちんと見える。推理はしていない。 Q 研究室として、高すぎず低すぎず、実現可能な目標を立てているそうだが、どのように見切りをしているのか。 A やはり勘と言うか、これをやったら仕事になるというのは、経営者やリーダーには必要かと思う。そのためには、他の人がやっていることに惑わされないことが大事ではないか。 Q 分子生物学と構造生物学の研究者が、同じ研究室に一緒に所属しているのは世界に例がないそうだが、海外のライバルにまねされないのか。 A 海外の研究室は、日本よりも細分化されている。准教授が、教授の下で研究している例はほとんどないのでは。ここは、日本のチームプレーの強みだと思う。
(2010年12月22日 読売新聞)
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