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知の拠点セミナー

「生きている言語を捉える挑戦〜言語研究のパラダイム転換に向けて〜」(6月15日開催)

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・中山俊秀教授

話し言葉が社会にどう浸透していくかを説明する中山教授=米山粛彦撮影

 言語は「生きている」といえる。生きているとは、日常で活発に使われているという意味だ。反対にラテン語やサンスクリット語は死語といえる。ラテン語はバチカンの公式行事で使われているが、住民は普段イタリア語で生活している(図1)。

生きている言語

図1

 生きている言語は時間とともに、表現や活用、文の作り方が変わる。「今日(きょう)」という言葉を、昔は「けふ」と読んでいた。また、人や地域によって言葉の使い方にばらつきがある。方言でアクセントが異なる場合もあれば、鶏肉を名古屋方面では「かしわ」と言う。

 音のルールや言葉の作り方を定めた規則の体系を文法と呼ぶ。現在の言語学は、個人間でその規則がぶれることはない、普遍的なものととらえている。端から端まで理屈が通る規則的なものとも位置づけている。1+1を2とする数学の体系をまねた影響が大きい。(図2)

「文法」と「話し言葉」の隔たり

図2

 現在の言語学のとらえ方と、実際の話し言葉では大きな隔たりがある。話し言葉の歴史的な変化は、普遍的という文法の特性に合わない。個人間や地域間の言葉づかいのばらつきも、規則的という文法の特性からずれている。言語学者にとって話し言葉は不都合な存在だ。

 米国の言語学者チョムスキーは「文法や言葉の歴史的な変化を知らなくても我々はコミュニケーションができる」という考えを提唱した。

図3

 「新しい」や「さざんか」は、「あらたしい」や「さんざか」から音が変わった単語だ。「ハンバーガー」は元々、ハンブルク名物という意味のステーキだったが、「ハム」と「バーガー」に分けて考えるようになり、バーガーに「丸いパンに挟んだサンドイッチ」という意味が生まれた。「フィレオ・フィッシュ」のフィレは「薄く切った」という意味だが、フィレオが「パン粉を付けてあげた物を挟んだバーガー」として使われるようになった。このような歴史的な変化の経緯を知らなくても言葉は使える、としたのがチョムスキーの考え方だ。(図3、図4)

 「っていうか」などの言葉づかいのばらつきについても、チョムスキーは「話し手が周囲の言葉づかいを自分の文法のルールに取り込まない」と切り離した。

図4

 歴史的な変化や言葉づかいのばらつきという不都合な事実は、こうして取り除かれた。言語は論理的でぶれがないというスタンスで多くの言語学者が研究をしている。

 しかし、話し言葉を言語から切り離して考えることに、私は違和感を覚える。というのも、人がおこなっている事象や、言語がなぜ今の形になっているのかに、私が強い関心を持っているからだ。

「ら抜き」言葉の浸透

 「食べられる」などの可能の動詞を「食べれる」と表現する、「ら抜き」を考えてみる。文化庁の2010年度の世論調査によると、16〜19歳の8割以上が「見れる」を、7割以上が「出れる」「来れる」を使うと答えた。一方で「考えれる」を使うのは2割を下回った。動詞によって、ら抜きをしたりしなかったりするのが分かる。普通に使われる頻度の高い動詞ほど、ら抜きの浸透度が高いと考えられる。(図5)

図5

 会話の中で、どの言葉づかいを選ぶかにはいくつかの判断基準がある。友達に「食べれる?」と聞かれたのに合わせて、「食べれる」と答える場面もあれば、「子供の前では教育上良くないので使わない」と考えるケースもある。既存の文法で決められた規則は判断基準の一つにすぎない。(図6)

 繰り返し使われている言葉は頭に残る。ある言葉を初めて聞いたときに人は偶然と思うが、その言葉を2度目に聞くと気になり、4度目くらいには必然と思うようになる。

 会話はテンポが命で、0.5秒でも止まっていると、間が空いている感じがする。聞き慣れた表現は思い出しやすく、テンポが求められる会話ではよく使われる。人は使い慣れた表現を使いやすい。規則から外れても「使い慣れた表現」が社会で共有されるようになる。話し言葉は言語の形成に大きく関係している。

体系的文法のなぞ解く複雑系

図6

 言語システムが話し言葉から生まれるとすると、疑問もある。個人が言葉づかいをバラバラに選ぶと、既存の文法構造から外れ、体系が大きく崩れる可能性があるが、実際はそうはならない。

 どのように体系的な文法ができるのか。探る糸口は「複雑系」という分野にあると考えている。複雑系では、多数の要素が複雑に関係してシステム全体の振る舞いが決まる研究だ。生命現象や気象現象を探ろうとしている。

 例えば、経済現象は複雑系で考察される。株式市場で個々の投資家はもうけようと取引をしているだけだが、ある瞬間に株価の大暴落が起きる。不思議な現象だが、まだ解明されていない。蜂の巣も蜂1匹1匹が材料を持ち寄るうちにきれいな六角形の集まりができるが、その仕組みも複雑系でとらえられている。

 これまでの言語学は、細かい要素を組み合わせて説明する手法をとってきた。この手法では、話し言葉が言語をどのように形作っているのかを説明できない。複雑系というテーマで研究をする物理や経済、生命の専門家と連携し、生きている言語への理解を深めていきたい。

質疑応答

  ある地域で使われている言葉が、方言なのか別の言語なのかを切り分ける基準はあるか。

  二つの地域の人々が互いに話してどのくらい分かり合えるか。二つの言語の構造がどのくらい違うかを数値で測る指標はあるが、どのくらい違えば別の言語になるのかという線引きは難しい。

  動物の鳴き声の表現を日本語と外国語で比べると、日本語のほうが近い気がする。

  我々の耳は各言語の音に敏感になっている。LとRの違いは英語を母国語にする人にとっては区別しやすいが、日本人は区別しない習慣のため聞き取りにくい。そのため日本語で表現した動物の鳴き声の音は、日本人の耳には実際の鳴き声に近いように感じる。

  共通語を日常的に使う人にとって、理解できない言語はどのくらいあるか。

  国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)が、日本にあって、消滅の危機に瀕(ひん)した言語として8言語を挙げた。東京・八丈島の言語や、沖縄の八重山語や与那国語などだった。どれも我々は理解できない。

中山俊秀(なかやま・としひで)
 1986年東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業。米モントクレア州立大助教授、東京外語大アジア・アフリカ言語文化研究所准教授などを歴任。2012年から現職。
2012年6月22日  読売新聞)

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