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知の拠点セミナー

「チェルノブイリと福島:地域研究の挑戦」(9月21日開催)

北海道大学スラブ研究センター・家田修教授

飯舘村の状況について話す家田教授=米山要撮影

 地域の問題、総合的に研究

図1

 「地域研究」とは耳慣れない言葉かもしれない。専門的には使われているが、一般的には必ずしもなじみがない。もともとは欧米で生まれた研究スタイルで、植民地の研究、いわゆる開発途上国と言われたラテンアメリカなどの地域の研究から出発した。従来の専門の学問ではとらえきれない現実を分析するのが基本的な研究スタイルだ。法律、経済、社会といった特定の分野だけでは、ある地域を理解するのは難しい。複雑な問題をときほぐすため、学際的にトータルで取り組むことが必要となる。現場に入り、特定の地域に特化した科学研究が特徴だ(図1)。

 福島県飯舘村は、山間部に存在する村。昨年の東京電力福島第一原子力発電所事故で汚染したのは、阿武隈山地と海岸の中間にあたる地域だった。とりわけ汚染の大きかった飯舘村を取り上げて、どういう問題が見えてくるかを考えてみたい。

消滅した「里山の恵み」

 放射性物質の汚染は一言でいうと、自然と社会を含む地域を崩壊させた。一つ目は、里山的生態系サービスの消滅。飯舘村の人々は緑の深い自然環境の中で暮らしていた。生態系サービスというのは、例えば湧き水。水道水は必要なく、井戸水が供給されていた。山にいっぱいキノコがあり、山菜も十分にとれた。ほとんどの農産物は自給自足だった。里山が供給してくれる様々な恵みを受けて生活していた。

 それが、ある瞬間から使えなくなった。食べてはいけない、飲んではいけないとなった。今まであった生態系、人間と自然との関係が変わってしまった。

 二つ目は大家族的共同体の分裂。飯舘村は3世代の同居が当たり前の地域。そこから避難するとき、10人の家族全員が入りきれる住居は都市部にはない。そのため、老人は仮設住宅に、若者は都市部の小さな住宅に、というようになった。それまで経済的な意味でも大きな共同体を作っていたのに、分裂せざるを得なくなった。最悪の場合は母子だけが遠くに住んでいる。

図2

 三つ目は、飯舘村は都会から移住して、農業をやる人が非常に多い地域だった。農業をしなくても、小さな菜園で年金生活を送る地域でもあった。この地域が汚染されたことで、住人だけでなく、そこにかかわる都会の人たちの癒やしの場としての役割もなくなった。都市と農村の循環を断ち切るということが起きた(図2)。

飯舘村に流れた放射性物質

 放射性物質の放出が多かった昨年3月15日、北西に向かう風に乗って放射性物質が流れ、飯舘村に沈着した。村役場に設置されたモニタリングポストも毎時44・7マイクロ・シーベルトを記録した。政府は4月22日に初めて避難区域に指定した。汚染のひどかった最初のひと月、まるまる被曝(ひばく)した。原発30キロ・メートル圏内は避難は早かったが、飯舘村はひと月以上、(他の地域と比べ)高い濃度の汚染にさらされた。

図3

 被曝量は地理的、個人的な条件、つまり(その人が)どこにいて、どのように行動したのかという二つの条件で変わってくる。被曝の健康影響を考えるには、日本全体で考えても意味がなく、地域の視点からとらえる必要がある。それは例えば、「村」や「地域」といった集団だ。その集団の中ではだいたい同じような行動をしていることが前提になり、その中でどのようなリスクを負うのかを考える必要がある(図3)。

 1986年に発生したチェルノブイリ原発事故では、広範囲に放射性物質が降った。4キロ・メートル離れたプリピャチ市でも、近いところはすぐに避難させようということで、1〜2日のうちに4万5000人の市民が避難した。これにより被曝を防ぐことができた。

 放射線による人体への影響は確率的とされる。低線量被曝はすぐに影響が出るわけではないし、出ないかもしれない。この考え方は日本で特異的なことではない。水道水にもごく微量の発がん性物質が入っている。ある一定以上の発がん性物質が入っていると、それを飲む人たちの何万人のうち1人ががんで死ぬという疫学的な統計があって、それを元に水道の水質はこうしなさいと定められる。このように確率的な人体影響は放射線だけの問題でなく、日常的なことでもある。

見解分かれる低線量被曝

図4

 国際放射線防護委員会によると、1シーベルト(1000ミリ・シーベルト)の被曝で100人のうち、がんで死亡する人が5人増える。一般的に100人のうち30人が放射線以外の要因でがんになり死ぬが、それが35人となる。その5人はだれか誰も分からない。もっと低い1ミリ・シーベルト、1マイクロ・シーベルトの被曝については様々な意見がある。低い被曝量なら人体への影響は「無視できる」とする意見と「無視できない」という意見がある。低線量被曝は詳しいことが分かっていないのが事実だ(図4)。

 村民が懸念するのは健康被害。早い段階で避難できていれば、余計な被曝はしなくて済んだ。プリピャチ市ではすぐに避難したので被曝をせずにすんだ。こういうことを、どう考えていくかが非常に重要ではないかと思う。

家田修(いえだ・おさむ)
1977年東京大学経済学部卒。広島大学助手、ハンガリー科学アカデミー客員研究員などを経て、95年から現職。

 ※図は家田教授提供

◇知の拠点セミナー 全国の国立大学が共同で利用する研究拠点の成果を一般向けに紹介する連続講座。毎月1回、東京・品川で開いている。日程や参加申し込みは、セミナーのホームページへ。

2012年9月30日  読売新聞)

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