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終の信託…死を自覚2人の連帯感

(フジテレビ、東宝、アルタミラピクチャーズ)

 周防正行監督は、これまでに、学生相撲や社交ダンス、痴漢裁判を題材に、話題作を撮り続けてきた。

 あまり知られてない世界を舞台にした、ノウハウ的な面白さが興味を引いたが、映画の根幹にあったのはドラマだ。家庭や会社、学校で見られる人間ドラマを、特殊な舞台に見いだし、優れた娯楽作に仕上げてきた。

 それらと比べて、新作は、ひときわドラマ性の強い、見応えある映画になった。

 前半では、呼吸器内科の女医・綾乃(草刈民代=写真右)と重症のぜんそく患者、江木(役所広司=同左)のやりとりを通して、終末医療の意味と命の尊厳について問いかける。

 医療行為の描写は微細で、激しくせきこむ役所の演技は本物の患者と見まがうよう。「シコふんじゃった。」「Shall we ダンス?」同様、情報の豊かさ、正確さが映画を支えているが、濃密な心理劇を前に、そこに感心してばかりはいられない。

 医者と患者の立場を超え、2人は人間として向き合うようになる。綾乃は同僚医師(浅野忠信)との不倫関係を苦にして自殺しようとし、江木には死期が迫る。心と体の違いはあれ、死を自覚した2人に連帯感が芽生えてくる。それは恋愛感情というより、同志としての信頼感のようなものだろう。江木は綾乃に、終戦直後、満州で妹を亡くした悲痛な体験を語り、延命措置について、彼女に判断を託す。(つい)の信託を受けるのは家族でなく綾乃なのだ。

 重い判断の是非を問うているのではない。主眼は、2人の心理の推移を描くことにある。映画の後半、45分にわたる、検事(大沢たかお)と綾乃の激しい応酬の末、法の判断が示されるが、観客は人間を信じたいと思うだろう。綾乃と江木の間で起きたことをきっちり見せられているので、自然と感情がその方向に向かうはずだ。

 映画的に見せることへのこだわりが作品の完成度を高めた。例えば、綾乃と江木が横に並んで話をする場面は、同じ方向を見ることで連帯感が強調される。一方、狭い取調室では机を挟んで綾乃と検事は対峙(たいじ)する。人間と向き合うか、権力と向き合うか。その違いを簡潔に映像としてみせる。

 草刈の変貌、役所の安定も買うが、何といっても大沢が素晴らしい。この俳優の実力を引き出したのも、監督の力であろう。2時間24分。有楽町・TOHOシネマズ日劇など。(近藤孝)

2012年11月2日  読売新聞)

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