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あぶくま抄(12月14日)

 <人情敦厚[とんこう]の地>。作家の故司馬遼太郎さんは白河地方を指してそう表現した。戊辰戦争の時、戦死者を分け隔てなく埋葬し、今に至るまで手厚く供養していることを評価した言葉だ(朝日文庫「街道をゆく33 白河・会津のみち、赤坂散歩」)。
 白河市役所近くの関川寺に赤穂浪士中村勘助の妻の墓がある。元禄15(1702)年、討ち入りを前にした勘助は、妻と子を白河城下に住む実弟に預けた。「後顧の憂いなく念願を果たしたい」という気持ちだったに違いない。妻は20年後、63歳で亡くなり、同寺に葬られた。
 昭和46(1971)年、郷土史家が長らく無縁となっていた墓を発見した。52年には、市内の有志が「白河義士会」を発足させた。討ち入り前にそばを食べたという逸話にちなみ、そば会を始めた。食事をしながら義士の遺徳をしのび、妻を慰霊する。決行日の12月14日だけでない。毎月14日に催している。今日で432回目を数える。
 毎月欠かさず続ける力はどこから来るのだろう。主君への忠義に生きた勘助への共感か、夫と離れ離れにされた妻への同情か。どちらにしても、白河人の人情敦厚の気風が支えている。

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