【この人物のオモテとウラ】
清純派からの完全脱皮
【芸能】
11年ぶりに帰国し活動再会
12月8日から公開の映画「二つの祖国で 日系陸軍情報部」で女優復帰した。
11年前に夫のすずきじゅんいち監督と米国に移住していたが、夫の作品を掲げて帰国。今後、日本で芸能活動を再開することについては「還暦過ぎていますから、おばあちゃん役ばかりかもしれないけど、監督が失業しているから私が稼がなくちゃいけない」と報道陣の笑いを誘った。
1951年、東京都広尾に生まれる。父親が芝浦工業大学の教授で、大豪邸に住んでいた。おっとりした育ちの良さが売りだった。
「男はつらいよ 奮闘篇」(71年)で7代目マドンナに起用されたのがきっかけで、ドラマ「気になる嫁さん」(71~72年、NTV)のヒロインに。また「帰ってきたウルトラマン」や「おれは男だ!」「必殺シリーズ」等、同年代にとって懐かしい人気ドラマに次々と出演。健康優良児を絵に描いたようなはつらつとした笑顔で、人気はうなぎ上り。
だが、私生活ではお嬢さま特有の無防備さがアダになった。
まだストーカーという言葉もない時代、ファンから「爆弾を仕掛けた」「暴力団がついている」などの脅迫を4年間にわたって受けた。
さらに25歳のときに婚約破棄事件が起こる。
老舗和菓子屋の若だんなと婚約発表をしたものの、妻がいることが判明。純粋培養されたお嬢さまの迂闊(うかつ)さが暴露された。
原因は、3歳からずっとステージママだった母親の過保護。婚約破棄事件がきっかけでようやく親離れできた。
その後は清純派のイメージをかなぐり捨てるのに懸命だった。ラブシーンはもちろん、惜しげもなく初ヌードになったり、男性週刊誌の対談でワイ談を披露する大サービスにも及んだが、中途半端なまま、28歳で結婚した。
<再婚後は過激シーンにも挑戦>
結婚7年目にフリーで活動を開始する。絵本朗読のボランティアをしたり、各地で子育て論の講演をしたりとカタい仕事中心。だが、娘が芸能界デビューすると、自分の母親と同じようにステージママに変身して、親子でセットの映画や旅番組のリポーターになった。
99年、実家に同居していた“マスオさん夫”と離婚。2001年、すずきじゅんいち監督と再婚。すずき監督の映画「ひとりね」では、オナニーシーンに果敢に挑み、清純派のイメージをかなぐり捨てた。
再婚後はロサンゼルスに移住、夫の仕事である映画プロデュースを手伝っていた。“お嫁さんにしたい女優”の元祖も還暦を過ぎた。「世の中のために出来ることがあれば、やっていきたい」と社会貢献への意欲も高まっている。