秋葉原日記 (ライブラリ)

コラム(ライブラリ)

2012/06/29

何でも見てやろう

 昨日は東京スカイツリーに登ってきた。
 大変な人気ぶりで5月22日の開業からわずか1カ月で展望台への登楼者は55万人にも上ったというし、商業施設全体としては550万人も入場したという。
 あまりの盛況でなかなかチケットは手に入りにくくて、自分も若手社員が6カ月前の昨年暮れのうちに手を尽くしてくれてやっと入ったという次第。
 東武鉄道で浅草から1駅目業平橋駅がその名も開業に合わせて改称された「とうきょうスカイツリー駅」を下車すると目の前がスカイツリータウン。東京ソラマチなどという商業施設が待ち受けている。
 展望台へは4階からエレベータが出ている。まずは第1展望台(展望デッキ)へ。なかなか高速なエレベータで350メートルまであっという間に引き上げられた。
 エレベータを降りると眼前に東京が広がっている。360度の展望デッキになっていてパノラマのように東京を一望できた。
 この日は曇り空だったので遠くはかすんでいて富士山などは眺望できなかったが、眼下に隅田川を初め東京湾から都心部の高層ビル群などと広がっていて東京の大きさを感じた。
 パリのエッフェル塔やニューヨークのエンパイヤステートビル、上海の環球金融センタービルなどと世界の名だたるタワーや高層ビルから眺望したことがあって、その経験でいうと東京ほど大きな都会もないということが実感できた。
 何しろ、どこまでもびっしりとビルばかりである。いかにも大東京というにふさわしい景観で、パリはおろかニューヨークや上海と比べても数倍の広がりであろう。
 次に第2展望台(展望回廊)に登った。第1展望台からエレベータを乗り継ぐ格好になっていて別料金。ちなみに第1展望台へが大人2千円で、第2展望台へはさらに千円である。
 高さ450メートルの第2展望台からはさらに大きな眺望が楽しめた。第1展望台とは100メートルの違いだが、随分と眺望の印象が違っていてさらに広がりが大きくなった。なかなかすばらしい眺望で、何しろ333メートルの東京タワーのてっぺんが眼下とまではいわないが、少なくとも目線よりも低く見えた。これはなかなか経験できないことだろう。いい体験だった。なお、この第2展望台は回廊が螺旋状に緩やかな登りとなっていて、最も高い部分になるとソラカラポイントといって451.2メートルになっていた。

 ところで、この『秋葉原日記』は、産報出版のウエブサイトSANPOWEBのオリジナルコンテンツだが、勤務先の秋葉原から日々の徒然を発信していきたいと書いてきたもので、書くにあたっては自分のモットーである「何でも見てやろう」を心掛けてきたつもり。好奇心こそが自分の職業的原点だと思っているのである。スカイツリーの見学もそのようなもの。
 だから、話題は秋葉原のことばかりではなく、ついつい出張や旅行のこと、読書のこと、仕事の溶接のこと、世相のことなどとまったく勝手気ままにあちこちに飛んでしまった。
 もっとも、それもあってか、それなりに幅広い読者を得てきたようにも思う。
 それで唐突だが、このコラム、馬場信の『秋葉原日記』は本日付が最終回ということになった。
 2007年6月1日から書き続けてきて満5年。土曜日曜休日は休載としたが、書きつづった日数は数えてみれば何と1221日にも達した。
 この間のご愛読に対し心より御礼を申し上げるとともに、1日も欠かさずここまで続けてこられたのも読者の皆様の激励があったればこそであり深く感謝申し上げる次第です。
 勤務先産報出版を離れるわけでも身分が変わるわけでもないし、まだまだ体力的にも問題はないのだが、何よりもマンネリが嫌いなこと、やめるについていささかの寂しさがないわけではないものの、ここで筆を置くことといたしました。
 長い間のご愛読、お励ましありがとうございました。 重ねて厚く御礼申し上げます。

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(東京スカイツリーから俯瞰した大東京と筆者)

 お願い:この『秋葉原日記』について、ご意見、ご感想等ございましたら次のアドレス宛電子メールでお寄せ下さい。
baba@sanpo-pub.co.jp

2012/06/28

秋葉原、今

 昨日は秋葉原をゆっくりと一回りしてみた。秋葉原に勤めてはいても、普段は秋葉原の街自体をじっくりと見て回るというのは実はそうはないこと。
 相変わらずにぎやかだ。平日の昼下がりなのに大勢の人々が行き交っている。とくに電気街は活況が戻ってきたような印象だ。
 ただそれもつぶさに見ると中味が大きく変化していることに気づかされる。
 大型電気店の看板が次々と塗り変わっていて往時の面影は薄くなっているし、栄枯盛衰の厳しさをうかがわせている。多くは電気店からサブカルチャーの店などへの転換が進んでいるものだ。
 例えば、かつて、パソコンが普及しIT時代に突入した頃には、新聞やテレビがトレンドを探る店として頻繁に登場していたラオックスのパソコン館が、6階までの全館がその名もAKIBAサブカルチャーズという店に変わっていて象徴的だった。
 もっとも、だからといって秋葉原が衰退しているかといえばまったくそうではなくて、逆に一層に華やかになってきているのが現実だ。
 そして外国人の姿が多く見られるのも昨今の秋葉原だろう。もとより新宿や渋谷のような大繁華街ではないけれどもこれは秋葉原の特徴だろう。
 先週は1週間の間に赤坂、六本木、銀座と行く機会があったのだが、それでわかったことは、国際色ということでは断然秋葉原が色濃いということ。1時間も街角にたたずんでいれば10カ国くらいの人々を容易に認めることができるほどで、とくに西洋人、東洋人を問わない。道行く人々の約10%は外国人ではないか、大げさではなくそう実感できるのが秋葉原だ。秋葉原に比べれば銀座も赤坂や六本木すらもローカルで、秋葉原はまさしく「世界のAKIBA」だ。
 ところで、この『秋葉原日記』を書き続けて満5年になるが、通りをぶらぶら歩き、名店を探し、世相を切り取ってきた。振り返ってみると、この5年間こそがこの秋葉原で最も変化の激しい時期だったようにも思われる。
 つくばエクスプレスが開業し、ヨドバシカメラが進出してきて、AKB48などというものが秋葉原を拠点に活躍しているこの頃。まことに猥雑な街といわざるを得ないが、それこそが秋葉原の魅力でもあり、この先どのような街となっていくものか、混沌として容易には見当もつかない、それが秋葉原でもあるのだろう。

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(秋葉原風景90=産報佐久間ビルの前の通り)

2012/06/27

溶接のある風景

 昨日は、川崎市にある日本溶接技術センターを訪ねた。
 ここは溶接に関する日本で唯一の常設の教育訓練機関で日本溶接構造専門学校も付属している財団法人。
 1969年の設立で、学生の教育訓練のほか企業の研修や委託試験など溶接や検査に関する幅広い事業を展開していて、外国人の研修にも熱心に取り組んでいることで知られる。
 また、専門学校は、1年制の溶接・検査技術科や2年制の設備・構造安全工学科と鉄骨生産工学科の3学科を擁していて、今年の入学生は23人だったとのこと。
 昨日訪れたらちょうど4月に入学してきた学生の溶接実習が行われていた。被覆アーク溶接による下向突合せ溶接を行っていたから、まさしく基礎訓練の真っ最中という様子だった。
 溶接は工業の基盤技術で、ものづくりの基幹を担っている。
 溶接にもいくつかのプロセスがあって、強い光を放っているアーク溶接がごく一般的だが、自動車工業や鉄鋼業などで多用されている抵抗溶接から、精密部品などに応用されているろう付やはんだ付も溶接方法の一つ。
 技術革新が激しくて、近年、レーザ溶接が登場したり、FSW(摩擦攪拌溶接)が開発されたりしていて日進月歩の状況だ。
 また、溶接は工業にとって不可欠の生産加工技術だからその生産性も重要な要素で、溶接の自動化やロボット化が図られてきている。とくに、ロボット化ということではあらゆる工業技術の中で溶接が最も進んでいるし、中でも溶接のロボット化は世界において日本の最も得意とするところでもある。
 しかし、いかに自動化やロボット化が進んでも溶接は人間の技量に負うところが非常に大きく、いきおい品質の確保は溶接において重要な命題だ。
 溶接が技量に負うところが大きいということは、それだけ溶接の技術を習得することはやさしくはないということもであり、だからこそというべきかそこが溶接の奥深い面白さでもある。
 これほど先進工業に採用され先端技術が次々と開発されている中で、溶接の技量向上に多方面から取り組まれているのものそのゆえんである。
 だからだろうが、溶接ほどコンクールの盛んな技能職種もない。切磋琢磨し、常に技量を磨いていくことは溶接に携わるものにとってほとんど職業的必須要件だ。
 全国すべてで都道府県単位のコンクールが開かれ、その頂点として全国大会が開催されている。
 東日本大震災において甚大な被害を被った宮城、福島両県ではついに昨年は県大会を断念せざるを得なかった。コンクールの意義を知るものとして断腸の思いだったに違いない。
 しかし、その両県において溶接コンクールが今年はついに再開された。先週相次いで宮城、福島両県大会が開催されたが、これは技量向上に強い意識の表れとして理解される。
 また、近年は高校生の間にも溶接への取り組みが盛んになっていて、その延長で高校による溶接コンクールも各地で開催されるようになっている。今や全国の過半数において県大会や地区大会が開催されるまでに至っていて、いよいよその全国大会である「溶接甲子園」も視野に入ってきた。
 アークが消えない限り日本の溶接が衰退することはないし、それはすなわち日本のものづくりが健全な姿でもある。

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(溶接のある風景=溶接実習の模様)

2012/06/26

休日のプロムナードコンサート

 先週の土曜日23日は、サントリーホールで行われた東京都交響楽団のプロムナードコンサートに出かけた。
 都響もそうだが、N響にしても日本のオーケストラの場合、定期演奏会などはなぜか平日に行われることが多いようだが、これに対し、都響のこのプロムナードコンサートは休日に、それも昼下がりに行われるシリーズだから、それこそ気軽にプロムナードでもするように夫婦連れなどで出かけるには格好の演奏会となっている。
 今回の演目は、演奏順に、ムソルグスキー/リムスキー=コルサコフ編交響詩「はげ山の一夜」、クーセヴィツキー・コントラバス協奏曲、リムスキー=コルサコフ交響組曲「シェヘラザード」の3曲。指揮梅田俊明。
 ムソルグスキーもリムスキー=コルサコフも19世紀ロシア人作曲家。それも両人ともロシア近代音楽に民族主義を持ち込んだ者たちとされていて、なるほど、曲はいずれもきわめて民族性の高いものだった。
 「はげ山の一夜」はムソルグスキーの作曲だが、今回演奏されたのはリムスキー=コルサコフの編曲になるもの。ティンパニばかりか大太鼓や鐘などと数多くの打楽器が多用されていてきわめてプロパガンダ性の高い内容となっていた。
 「シェヘラザード」が今回の演目の中では一番よかった。シンフォニーと同じく4楽章から成っていて、曲想が豊かに広がっていたし、繰り返される主旋律がとても印象的だった。この主旋律はバイオリンのソロでコンサートマスターでもある四方恭子が演奏したのだが、高音部と低音部のメリハリがよかったし、とくに高音部の繊細さは断然秀逸ですばらしいものだった。
 この2曲とも主旋律はどこかで聴いたことのある既視感にとらわれたのだが、それはこれらの曲がロシア民謡をモチーフにしていたせいかもしれない、そのように受け止めたのだったし、メロディー全般が日本人にもなじみよいようで親しみ深かった。。
 また、コントラバス協奏曲のクーセヴィツキーはボストン交響楽団の指揮者として知られるが、やはりロシアの出身だということ。コントラバスのコンチェルトはなかなか珍しいことで初めて聴いた。曲の数も少ないらしい。チェロとも違って、高音から低音まで重層的な印象だった。コントラバスは山本修。
 音楽もそうだし、絵画にしろ映画にしろ演劇にしろ、見たまま聴いたままそぐに感想を述べるのが自分の癖で、このたびも連れの家内に率直に感じたままを話した。
 いつもだったら、あまりにとんちんかんなことをいうものだから苦笑いされたり、たしなめられたりするのだが、このたびは家内は強く反論することもなく穏やかに笑っていた。これは珍しいことなのだが、今回の感想があるいはそれなりに当を得ていたせいかもしれない、勝手ながらそう受け止めることにしたのだった。
 いずれにしても、音楽に限らず、小説にしろ絵画にしろ、あるいは映画や演劇にしろ、どうせ素人なんだし、よかった、面白かった、美しかった程度でいいと自分では思っていて、専門家や詳しい人に言わせたら何と浅薄なことよと笑われるのだろうがあまり意に介さないのが自分流だ。
 結局、自分の第一印象を大事にしないでしかつめらしく理屈を述べたところで感動は残らないわけで、それよりもより多くのものを読んで見て聴いて楽しむことこそが肝要なのだろうと思っている。

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(演奏開始直前の会場)

2012/06/25

季節は巡る

 このところ週末ごとに出張やら旅行に出かけていたりして散策も滞りがち。
 この週末は遠くへ出かけることがなかったし、天候も曇り空だったから、一昨日土曜昨日日曜と久しぶりにじっくりと散策を楽しむことができた。
 いつもの公園ばかりかいくつかコースを選びながら歩いたのだが、いずれにしてもこの季節は木に咲く花が少ない。
 それでも、緑が濃くなってきているのはうれしいものだし、あじさいが色とりどりの花を見せているし、もう終わりに近いのだろうがクチナシは相変わらず強い芳香を放っていた。タイサンボクやギボウシ、デイジーなども見かけた。濃い橙色の花をいっぱいにつけたザクロもこの季節にはよく見かけるもの。
 街路樹の中に混ざっていて見落としがちだが、ビワがちょうど実をつけていたから2個ほど失敬していただいた。橙色に親指くらいの大きさをしていて実は割りやすいし、果肉はさっぱりしていて上品な味わいがある。
 通りがかった住宅街の小公園ではお年寄りたちがラジオ体操をしていた。
 これから先、タチアオイやノウゼンカズラ、ムクゲなどが咲いてくればいよいよ盛夏となる。

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(緑が濃くなってきたいつもの公園の散策路)
 

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