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白虎隊の生き残り 飯沼貞吉の孫が独自調査基で出版 「一時、長州で養育」

飯沼一元氏
飯沼一元氏

 戊辰戦争で自刃した白虎隊の生き残り・飯沼貞吉の孫に当たる飯沼一元さん(69)=東京都世田谷区・写真=は、貞吉の生涯を描いた「白虎隊士飯沼貞吉の回生」を出版した。自身の調査を基に、貞吉が戦後の一時期、敵方の長州(現在の山口県)で養育されたとしており、会津をめぐる歴史探究に一石を投じそうだ。
 一元さんが主張する長州養育説の根拠は、戊辰戦争で会津に出征した長州藩士楢崎頼三の子孫に伝わる証言だ。平成23年9月、一元さんが京都で講演した際、頼三のひ孫・松葉玲子さんが駆け付け、「頼三が会津の飯沼家母宛てに『貞吉を預かっている』旨の密書を送ったと聞かされた。このことは誰にも言ってはいけないと言われて育った」と語った。捕虜となった貞吉を、頼三が長州に連れ帰ったという。
 楢崎家で働いていた高見フサの子孫の家にも、貞吉が滞在していたことを思わせる口伝があり、長州養育説の発端となっていた。「楢崎は会津少年を長州に連れてきて屋敷に住まわせた」「少年をサダさーと呼んでいた」と伝わっている。
 一元さんは当初、長州養育説を一蹴した。会津と長州は戊辰戦争から150年近くを経た今も、わだかまりが残るとされている。ましてや戦後間もない時期に、誇り高い会津藩士が敵方で育てられるはずがないと思った。
 しかし、説を否定するため始めた調査で、それを覆す松葉証言が出てきた。一元さんは長州養育説を確信。当時の貞吉を、想像を交え「回生」に記した。
 貞吉はその後、電信技師となり国内外に勤務した。貞吉が電信に関心を持ったのは、長州での勉学が背景にあると考える一元さん。「飯盛山で助けられた後、死に場所を求めていた貞吉が前を向くきっかけが長州だった。こうした生涯をしっかりまとめておきたかった」と語る。
 飯盛山自刃についても「落城と誤認した」とする従来説を否定。隊士が議論の末に「武士の本分を明らかにするため」自刃したと、「顛末記」に基づき紹介している。
 本はインターネットで購入できる。問い合わせは一元さんが事務局長を務める「白虎隊の会」 http://byakko1868.web.fc2.com/

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白虎隊士飯沼貞吉の回生
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