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生活保護のリアル みわよしこ
【第2回】 2012年7月6日
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みわよしこ [フリーランス・ライター]

妻の浮気相手への傷害で服役、ホームレスに
高齢生活保護受給者のギリギリの暮らしと思い

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 「ああ、家族だなあ」

 という実感があったそうだ。休日には、妻・2人の子どもと共に、家族で動物園を訪ねたり花見を楽しんだりした。時には、父と息子だけで多摩川に魚釣りに行くこともあったという。

 真面目な仕事ぶりを認められた小林さんは、昭和40年代には職場の警備会社の教育責任者となっていた。子どもたちも健康に成長していった。中学生や高校生になると、さすがに休日に父親と一緒に行楽を楽しむことはなくなったが、小林さんは、公私とも充実した毎日を送っていた。

 そんな毎日が、昭和50年代のある日に一変する。

 昼間に帰宅した小林さんの目に入ったのは、妻が近所の男と自宅で浮気している姿だった。小林さんは相手の男を包丁で刺した。相手も包丁で応戦した。この時、左手の指の一本を失った。さらに相手の家に放火。小林さんは、放火・傷害犯として逮捕され、懲役13年の実刑判決を受けて服役する。服役中に妻とは離婚。2人の子どもたちも服役中に結婚。平成2年(1990年)、昭和天皇崩御に伴う恩赦で出所できることになった小林さんに、帰る家はなかった。

ホームレスに、そして生活保護受給へ

小林さんには妻と2人の子どもがいたが、全員が既に他界している。家族を偲ぶよすがは、仏壇の中の位牌だけだそうだ。
Photo by Yoshiko Miwa

 小林さんは、現金2万7000円を持って刑務所を出所した。その後は、飯場の手配師をしたり、飯場で土木工事の仕事をしたり、日雇い労働をするなどして生き延びた。しかしこのころ、バブル経済が終焉し、長期構造不況が始まった。いわゆる「失われた20年」のはじまりの時期である。山谷などの寄せ場では、日雇いの仕事を得ることさえ容易でなくなっていた。

 仕事を得ることができなくなった小林さんは、「行けば何とかなるだろう」と公園でホームレス生活を始めた。しかし、ホームレス生活は思い描いていたよりもずっと苛酷で「死が目の前にいる感じ」だったという。

 まもなく体調を崩した小林さんは、ボランティアでホームレス向け医療相談を行なっていた医師の勧めで病院に入院する。退院時、小林さんに「家族のもとに戻る」という選択肢はなかった。離婚した元妻・2人の子どもたちは、この時期以前に相次いで病死していたからだ。

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みわよしこ [フリーランス・ライター]

1963年、福岡市長浜生まれ。1990年、東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了後、電機メーカで半導体デバイスの研究・開発に10年間従事。在職中より執筆活動を開始、2000年より著述業に専念。主な守備範囲はコンピュータ全般。2004年、運動障害が発生(2007年に障害認定)したことから、社会保障・社会福祉に問題意識を向けはじめた。現在は電動車椅子を使用。東京23区西端近く、農園や竹やぶに囲まれた地域で、2匹の高齢猫と暮らす。日常雑記ブログはこちら


生活保護のリアル みわよしこ

急増する生活保護費の不正受給が社会問題化する昨今。「生活保護」制度自体の見直しまでもが取りざたされはじめている。本連載では、生活保護という制度・その周辺の人々の素顔を知ってもらうことを目的とし、制度そのものの解説とともに、生活保護受給者たちなどを取材。「ありのまま」の姿を紹介してゆく。

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