伊藤とし子のひとりごと

佐倉市議会議員2期目
議会活動、さくら・市民ネットワークの活動あれこれ、お知らせします

【拡散歓迎】7/28「ワクチントーク全国in東京」 

2013-07-28 09:52:33 | ワクチン問題
7/28 今日になってしまったが「ワクチントーク全国in東京」がある。

子宮頸がんワクチンは、重篤な副反応被害者が続出して、6月に国は接種勧奨を一時中止としたが、定期接種はそのままとなっている。
接種するかしないかを当事者に任せた形になっているが、任された市町村もどっちつかずの説明を繰り返している。
その中で唯一、野田市は接種の一時中止をいち早く表明した。
これだけの被害者が出ているなら、国として接種そのものを中止すべきだろうと考えるのが普通だと思うのだが。
なぜこんな玉虫色なのだろうか?
(週刊誌の記事には名指しで国会議員、メーカーの広告塔の専門家の癒着ぶりが書かれているのだが。)
現在、推進派は積極的にがん予防にはワクチン接種と検診が必要と大攻勢をかけている。

真実はどこにあるのだろうか?

というわけで、子宮頸がんワクチンの問題点だけでなく他のワクチン問題も合わせて一緒に考えてみよう、という企画です。

「子宮頸がん、病気とワクチンの本当の関係ー今でしょ!ワクチン総点検」
 
時間 13時〜16時40分
場所 明治大学リバティタワー8階 1083教室
内容 
テーマ1 「子宮頸がんという病気とワクチン」 
     打出 喜義 金沢大学附属病院産科婦人科医師・講師 


テーマ2 「今、ワクチンにどう向き合うか」
     母里啓子(元国立公衆衛生院疫学部感染症室長)

○ 新しいワクチンラッシュで増えた副作用 青野典子(ワクチントーク全国)

○ 救済の実態 栗原敦(全国薬害被害者団体連絡協議会)

○ 誰のためのワクチン接種か? 古賀真子(日本消費者連盟共同代表)

質疑応答には 小児科医 山田真さんも参加されます

資料代 1000円
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使用済み小型家電リサイクル 障がい者福祉事業所「あゆみ会作業所」の取り組み

2013-07-22 08:43:24 | 環境
7/16、木更津市にある障がい者福祉事業所「あゆみ会作業所」の視察訪問記です。

午前中は同じ木更津市内にある養護施設「野の花」を視察。
その足での訪問だったが、木更津市が広いことを実感。

「あゆみ会作業所」は2011年の千葉県ネット元気ファンドで助成した団体の一つだったが、その時は家電リサイクル品の分解を作業所で始めたばかりだった。

今年4月から施行された小型家電リサイクル法。
取扱い事業者の認可がまだのため、佐倉市ではまだ始まっていないが、認可が下りれば本格的に始まることになる。
都市鉱山といわれる使用済み小型家電から金、銀、レアメタルを取り出すための取り組み。
今は、よく無料回収車や回収所なるものが出没して回収しているが、果たして行先は?最終的にどうなっているのだろうと、いつも疑問に思っていた。
今回「あゆみ会作業所」で解体作業を目の当たりにして、とても丁寧な仕事をしていることに感心した。
ノウハウは試行錯誤の結果だということだった。
         ↓



100%利用できるので、廃棄するところはない、と胸を張る理事長の友田さん。

パソコンの中でも価値のある基盤。
友田さん曰く「価値のある物は美しい」
         ↓



2級品のパソコンは、基盤もそれなりということだった。

別棟ではペットボトルキャップの分別作業を、みんな楽しそうにやっている。
納期が決まっているので、それに合わせてきちんとこなす。
         ↓



ペットボトルキャップ以外のものや異物の選り分けと、
シールの着いたものの選り分け。
・・・・シールはがしはお年寄りの作業の材料になるとか。
やっぱり生きがいは仕事に勝るものはないようだ。

生き生きと作業しているので、誰がスタッフで誰が作業者か区別つかないくらい。

ひときわ目を引いたのが、きびきびと動き回る男性。
「あの方はスタッフですか?障がい者ですか?」
と思わず聞いてしまったが、すごい仕事っぷり。
誰もが一目置く作業者だった。

理事長の友田さんは、それぞれの障がいにあった効率のいい仕事を見つけてくるということだった。

小型家電リサイクル品の分解は納期がないので、時間を切られるのが苦手な人にぴったりの作業ということだった。
その代り、細かい根気のいる丁寧な作業が要求されるが、その分、売値が高くなる。

生き生きした働きぶりを見て、実感。

我家にあった子どものゲーム機や携帯電話を大きな段ボールいっぱい持参したが、
「昔のものは価値があるんですよ」
と喜んでいただいた。

長年捨てるに捨てられず困っていたのだが、すべてリサイクルできる、と聞いて出したほうもうれしい。

「あゆみ会作業所」でリサイクルの研修をして、千葉県内の同じ志の作業所と連携していきたい、ということだった。

ぜひ、リサイクルの行く先が分かっている事業者へ、出してもらいたいものだ。
それには、回収ルートをきちんと確立することが急務ということが分かった。


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「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」憲法調査会事務局

2013-07-21 10:55:12 | 憲法
昨日に引き続き、憲法9条について。

田中優さんのブログに、
幣原喜重郎元内閣総理大臣(敗戦直後)が日本国憲法の特に第9条の誕生に大きな役割を果たしたことが書かれていた。
憲法9条の誕生に至る経緯、天皇制の存続にどのような役割を果たしたのか、を知る上にも重要な資料だ。


*******************************


(この資料は国会図書館内にある憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵)と題されたものを私(今川)が川西市立図書館を通じて国会図書館にコピーを依頼して手に入れ、さらにそのコピーをワードに移し替えたものである。
原文は縦書きであるが、ホームページビルダーの性質上、横書きで書いている)

昭和三十九年二月

幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について     

ー 平 野 三 郎 氏 記―                    

憲法調査会事務局           

は し が き

この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。

 なお、この資料は、第一部・第二部に分かれているが、第一部・第二部それぞれの性格については、平野氏の付されたまえがきを参照されたい。

  昭和三十九年二月

          憲法調査会事務局

第一部

私が幣原先生から憲法についてのお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬のことである。
同年三月十日、先生が急逝される旬日ほど前のことであった。
場所は世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。
 側近にあった私は、常に謦咳にふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、当日は、私が戦争放棄条項や天皇の地位について日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、これについて幣原先生にお答え願ったのである。
その内容については、その後まもなくメモを作成したのであるが、以下はそのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を整理したものである。
 なお、当日の幣原先生のお話の内容については、このメモにもあるように口外しないようにいわれたのであるが、昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみてあえて公にすることにしたのである。

問 かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑のようですから是非うけたまわりたいと存じます。
実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。
 あれは現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。 

答 いや、そうではない。
あれは一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。

問 そうしますと一体どういうことになるのですか。
軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうする訳なのですか。

答 それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。

問 死中に活といいますと・・・・・。

答 たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。
しかし原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わって終ったと僕は思う。
何故ならこの兵器は今後更に幾十倍 幾百倍と発達するだろうからだ。
恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。
そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。
そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。

問 しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。

問 そうだ。世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。
しかし実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできない。
 それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。
つまり世界政府だ。
世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集まるというようなことは空想だろう。
だが何らかの形における世界の連合方式というものが絶対に必要になる。
何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少  なくも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。
凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。
しかしその武力は一個に統一されなければならない。
二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも武力が威嚇手段として行使される。
したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武力衝突を引き起こす。
すなわち戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって、例えばある協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々か進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合わせよりも強力である、というような世界である。
 そういう世界は歴史上存在している。
ローマ帝国などがそうであったが、何より記録的な世界政府を作ったものは日本である。
徳川家康が開いた三百年の単一政府がそれである。
この例は世界を維持する唯一の手段が武力の統一であることを示している。
 要するに世界平和を可能にする姿は、何らかの国際機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展しその同盟が国際的に統一された武力を所有して世界警察としての行為を行うほかはない。
このことは理論的に昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。
しかし原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す秋が来たと僕は信じた訳だ。

問 それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は大国同志が国際的に話し合って決めることで、日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところでどうにもならぬのではないですか。

答 そこだよ、君。
負けた国が負けたからそういうことを言うと人は言うだろう。
君の言うとおり正にそうだ。
しかし負けた日本だからこそできることなのだ。
おそらく世界には大戦争はもうあるまい。
もちろん、戦争の危機は今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。
第二次世界大戦が人類が全滅を避けて戦うことのできた最後の機会になると僕は思う。
如何に各国がその権利の発展を理想として叫び合ったところで、第三次世界大戦が相互の破滅を意味するならば、いかなる理想も人類の生存には優先しないことを各国とも理解するからである。
 したがって各国はそれぞれ世界同盟の中へ溶け込む外はないが、そこで問題はどのような方法と時間を通じて世界がその死顎の理想に到達するかということにある。
人類は有史以来最大の危機を通過する訳だがその間どんなことが起こるか、それはほとんど予想できない難しい問題だが、唯一つ断言できることは、その成否は一に軍縮にかかっているということだ。
もしも有効な軍縮協定ができなければ戦争は必然に起こるだろう。
既に言った通り、軍拡競争というものは際限のない悪循環を繰り返すからだ。
常に相手より少しでも優越した状態に己を位置しない限り安心できない。
この心理は果てしなく拡がって行き何時かは破綻が起る。
すなわち協定なき世界は静かな戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかなく、その静けさがどれだけ持ちこたえるかは結局時間の問題に過ぎないという恐るべき不安状態の連続になるのである。 
 そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、僕は軍縮を身をもって体験してきた。
世の中に軍縮ほど難しいものはない。
交渉に当たるものに与えられる任務は如何にして相手を欺瞞するかにある。
国家というものは極端なエゴイストであって、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸となることを交渉者に要求する。
虚虚実実千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗きみるなら、何人も戦慄を禁じ得ないだろう。
軍縮交渉とは形を変えた戦争である。
平和の名をもってする別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性など初めからないものなのだ。 
 原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。
むしろ軍縮交渉は合法的スパイ活動の場面として利用される程である。
不振と猜疑が亡くならない限りそれは止むを得ないことであって、連鎖反応は連鎖反応を生み、原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられるだろう。 そのような瀬戸際に追いつめれても各国はなお異口同音に言うだろう。
軍拡競争は一刻も早く止めなければならぬ。
それは分っている。
分ってはいるがどうしたらいいのだ。
自衛のためには力が必要だ。
相手がやることは自分もやらねばならぬ。
相手が持っているものは自分も持たねばならぬ。
その結果がどうなるか、そんなことは分らない。
自分だけではない。
誰にも分らないことである。
とにかく自分は自分の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。
責任は自分にはない。
どんなことが起ろうと、責任は凡て相手方にあるのだ。 
 果てしない堂々巡りである。
誰にも手のつけられないどうしようもないことである。
集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景―それが軍拡競争の果ての姿であろう。
 要するに軍縮は不可能である。
絶望とはこのことであろう。
唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ方法がある。
それは世界が一せいに一切の軍備を廃止することである

 一、二、三の掛け声もろともすべての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。
もちろん不可能である。
それが不可能なら不可能なのだ。
ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだのである。
そうだ。誰かが自発的に武器を捨てるとしたらー
 
 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。
次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。
自分は何を考えようとしているのだ。
相手はピストルをもっている。
その前にはだかのからだをさらそうと言う。
なんという馬鹿げたことだ。
恐ろしいことだ。
自分はどうかしたのではないか。
もしこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。
まさに狂気の沙汰である。
    
 しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。
どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。
恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。
何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。
今だ。今こそ平和だ。
今こそ平和のために起つ秋ではないか。
そのために生きてきたのではなかったか。
そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。
何か僕は天命をさずかったような気がしていた。
 
 非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。
だが今では正気の沙汰とは何かということである。
武装宣言が正気の沙汰か、それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。

 要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。
何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を日本が果たすのだ。

 日本民族は幾世紀もの間、戦争に勝ち続け、最も戦闘的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。
神の信条は武力である。
その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。
何故なら武力は神でなくなったからである。
神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。
日本人はその悪魔を投げ捨てることによって再び神の民族になるのだ。
すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。
それが歴史の大道である。
悠々とこの大道を行けばよい。
死中に活というのはその意味である。

問 お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。
しかしその日が来るまではどうする訳ですか。
目下のところは差当りは問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実をつけて侵略したらです。

答 その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。
そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。
しかも次の戦争は今までとはわけが違う。
僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う
もちろん軍隊をもたないと言っても警察は別である。
警察のない社会は考えられない。
とくに世界の一員として将来世界警察への分担負担は当然負わなければならない。
しかし強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。
僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。
その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論によって裏付けされたものでなければならない。
そうした与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。
何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。
もしある国が日本を侵略しようとする そのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それによって脅威を受ける第三国は黙っていない。
その第三国との特定の保護条約生むにかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。
要するにこれからは世界的視野に立った外交の力によってわが国の安全を守るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ。

問 よく分りました。
そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。
一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。
もっとも草案は勧告という形で日本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。

答 そのことは此処だけの話にしておいて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の春から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。
僕が決心をしたのはその時である。
それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。
元来、第九条のようなことを日本側から言い出すようなことは出来るものではない。
まして天皇の問題に至っては尚更である。
この二つに密接にからみ合っていた。
実に重大な段階であった。               
 幸いマッカーサーは天皇制を維持する気持ちをもっていた。
本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決まっていた。
所がアメリカにとって厄介な問題があった。
それは豪州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。
これらの国々は日本を極度に恐れていた。
日本が再軍備したら大変である。
戦争中の日本軍の行動はあまりにも彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。
日本人は天皇のためなら平気で死んでいく。
殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。
これらの国々はソ連への同調によって、対日理事会の評決ではアメリカは孤立する恐れがあった。
この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。

 豪州その他の国々は日本の再軍備化を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。
故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。
もともとアメリカ側である豪州その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることができる。

 この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。
もっとも天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。
元来天皇は権力の座になかったのであり、またなかったからこそ続いていたのだ。
もし天皇が権力をもったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。
世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。
日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を維持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇
本来の昔に戻ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにも良いと僕は思う。 
         
 この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。
憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。

 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。
松本君にさえも打ち明けることのできないことである。
幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。
そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。
それは昭和二一年の一月二四日である。
その日僕は元帥と二人きりで長い時間話し込んだ。
すべてはそこで決まった訳だ。

問 元帥は簡単に承知されたのですか。

答 マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。
しかし第九条の永久的な規定ということには彼も驚いていたようであった。
僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。
     
 元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの侵略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。
それについて僕は言った。 
     
 日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。
日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。
原子爆弾はやがて他国にも波及するだろう。
次の戦争は想像に絶する。
世界は亡びるかも知れない。
世界が亡びればアメリカも亡びる。
問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。
問題は世界である。
いかにして世界の運命を切り拓くかである。
日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世界の運命を切り拓くかである。
日本がアメリカと全く同じものになったらだれが世界の運命を切り拓くか。

 好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。
来るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。
その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にないであろう。
同時にそのような戦争放棄国の出現もまた空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果たしうる位置にある。
歴史の偶然は日本に世界史的任務を受けもつ機会を与えたのである。
貴下さえ賛成するなら、現段階における日本の戦争放棄は対外的にも対内的にも承認される可能性がある。
歴史の偶然を今こそ利用する秋である。
そして日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う唯一つの道ではないか。
     
 また日本の戦争放棄が共産主義者に有利な口実を与えるという危険は実際ありうる。
しかしより大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。
世界はここ当分資本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。
それを不動のものと考えることが世界を混乱させるのである。
未来を約束するものは、たえず新しい思想に向って創造発展していく道だけである。
共産主義者は今のところはまだマルクスとレーニンの主義を絶対的真理であるかのごとく考えているが、そのような論理や予言はやがて歴史のかなたに埋没してしまうだろう。
現にアメリカの資本主義が共産主義者の理論的攻撃にもかかわらずいささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して自らを創造発展せしめたからである。
それと同様に共産主義のイデオロギーもいずれ全く変貌してしまうだろう。
いずれにせよ、ほんとうの敵はロシアでも共産主義でもない。
   
 このことはやがてロシア人も気付くだろう。
彼らの敵もアメリカでもなく資本主義でもないのである。
世界の共通の敵は戦争それ自体である。

問 天皇陛下はどのように考えておかれるのですか。

答 僕は天皇陛下は実に偉い人だと今もしみじみと思っている。
マッカーサーの草案をもって天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと内心不安でならなかった。
僕は元帥と会うときはいつも二人きりだったが、陛下の時は吉田君にも立ち会ってもらった。
しかし心配は無用だった。
陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなってもかまわぬ、といわれた。
この英断で閣議も納まった。
終戦の御前会議の時も陛下の御裁断で日本は救われたと言えるが、憲法も陛下の一言が決したと言ってもよいだろう。
もしあのとき天皇が権力に固執されたらどうなっていたか。
恐らく今日天皇はなかったであろう。
日本人の常識として天皇が戦争犯罪人になるというようなことは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなかった。
当初の戦犯リストには冒頭に天皇の名があったのである。
それを外してくれたのは元帥であった。
だが元帥の草案に天皇が反対されたなら、情勢は一変していたに違いない。
天皇は己を捨てて国民を救おうとさらのであったが、それによって天皇制をも救われたのである。
天皇は誠に英明であった。
     
 正直に言って憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によって出来たと言ってよい。
たとえ象徴とは言え,天皇と元帥が一致しなかったら天皇制は存続しなかったろう。
危機一髪であったと言えるが、結果において僕は満足している。
     
 なお念のためだが、君も知っている通り、去年金森君から聞かれた時も僕が断ったように、このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならないことだから、その積りでいてくれ給え。

  
                 その後の憲法第九条に戻る








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田中優さん「憲法の大切さを思う」メルマガより

2013-07-20 20:41:28 | 憲法
田中優さんのメルマガ「憲法の大切さを思う」 から

日本の憲法、とりわけ9条は「理想主義だ、非現実的だ」という意見が よく言われる。
しかし憲法は「今」の時代だけのものじゃない。
 将来、可能な限り永劫に使いたい理想像なのだ。

 私たちが可能な限り戦争をしない、なくしたいと思うのは当然ではないか。
とりわけ多くの身近な人を犠牲にした焼け野原の戦後に立てば。

 今回取り上げた幣原喜重郎氏に対する聞き取りは、そのことを強く感じさせるものだった。
現実だけで憲法を作ったら、「金儲けの自由」や「倫理のない職業 選択の自由」などばかりになるだろう。

 理想を持たない憲法は「憲法」の名に値しないものだと思う。

……………………

以下、4/30発行の有料メルマガより抜粋

『 憲法の大切さを思う 』

▼ 言いたくない護憲

 今日は憲法記念日。
しかし今年はいつもと違って、憲法を壊そうとする人たちの気配が濃厚にある。
ぼく自身は環境活動家で、特に「憲法を守れ」という言葉を声高に言ったことはない。
しかしぼくは今の憲法を貴重なものだと思っている。

 なぜ声高に主張しないかと言えば、ひとつは環境の活動をするのに思想統制されるべきでないと思うからだ。
どんな考え方でもいい。活動するときに、その思想によって区別されたのでは、無意味に運動を狭めることになるからだ。

 「私は納豆にネギを入れるのには反対です」という意見と合わないから、だから一緒にやれないというのでは永遠に小さな枠の運動から出られなくなる。
 しかし一方で、大事なポイントで異なってしまった場合には一緒にできなくなることもある。
でも可能な限り、違いは違いとして一緒にやれるだけの許容性は持ち たいと思うし、厄介さを回避したいからだ。

 もうひとつ声高に言わない理由は、「左翼」という狭い枠に閉じ込められるのが嫌だからだ。
以前に雑誌で対談をしたときに、ある人から「田中さんはマルクス主義者ですね」と言われた。
ぼくが答えたのは、

「ぼくはぼく以外の人の考えを信じなければならないほどバカではありません。
 この肩の上に乗っている頭があるのですから、自分で考えて答えを出します」

 というものだった。
 ぼくはぼく自身で考えて判断する。
そのための努力は欠かさない。
 それを「マルクスはこう言った!」の一言で結論付けるような、愚かしい判断ができるはずがないからだ。 (中略)

▼ 憲法に守られてきた実感

 ぼく自身の大学での専門は法律だった。
だからずいぶん学んできた。
そして公務員になったとき、宣誓書を書かされた。
そこにはこんなことが書いてあった。
「日本国憲法を尊重することを誓う」というものだ。
ぼくは喜んでそこに署名した。
なぜならこの憲法には思想信条の自由や平和主義があり、それに反することを仕事として押し付けられたとしても、それを拒む権利があるからだ。

 だから公務員になったとしても、「勝手な解釈による不正な強制」は拒むことができる。
公務員の世界にもたくさんのおかしなことがある。
しかしそれを拒む権利がこの宣誓によって与えられるのだ。

 そしてその通り、違法な命令に対しては拒み続けた。
住民のためにならない命令には抗議を続け、理不尽な強制に対しては拒否し続けた。(中略)

 そのときぼくの後ろ盾になったのは、この憲法99条だった。
ぼくは上司たちから雇われているのではない。
サラリーは地域の住民の方々からいただいているし、仕事は憲法に則ってしているのだから。

▼ 戦争は容認しない

  しかしその憲法が変えられてしまったらどうなるのか。
 たとえば「戦争の放棄」がなくなってしまえば、軍隊による圧力が役所にかかってきたとしても拒否できなくなる。
「思想信条の自由」がなくなってしまえば、当局からの強制に対して拒否ができなくなる。

 ぼくが住民の利益を考えて拒否してきたことが、拒否できなくなってしまう。
もともと役所の中で上司からの命令を拒否しようとする人は少ないから、あまり変わらないのかもしれないが、それでも拒否できる後ろ盾を失うのは大変なことなのだ。
中でも憲法9条は、安心できる社会の基盤だった。

(中略)

 その外交能力が史上最低レベルまで下がってしまった日本が、憲法9条をなくしてしまったとしよう。
どう見えるかは明らかではないか。
あの自分勝手で野蛮なことばかり言う政府が軍事に道を開いたのだ。
戦争になる準備をしなければならないだろう。
戦後に抑えてきた軍拡の猜疑心に道を開くのだ。


 しかし改憲論者は言う。
「これは戦後の占領軍によって押しつけられた憲法であって、自ら自主的に制定したものではない」と。
しかしそれにしては日本人の心情によくフィットする。
そのことが不思議だった。

 しかし今回、以下の記録を読んでやっと理解した。
この条文を入れたのは幣原 喜重郎(しではら きじゅうろう)だったのだ。
 http://kenpou2010.web.fc2.com/15-1.hiranobunnsyo.html

(中略)

▼ あまりに日本的な

 こうした考え方は、少し前の日本人の生き方から考えたら素直に理解できる。
人々は自分の利益のためではなく、人々に良かれと思って生きていたからだ。
しかしそこには弱さもある。
何より強く主張する人々に押し切られる危険性があるからだ。
その強い主張がただの金儲けのためだったとしても、「彼があそこまで言うのだから」と受けてしまう危険性は常につきまとっていたのだと思う。

 しかし、こんないかにも日本臭い、書生じみた理想主義の日本国憲法がぼくは好きだ。
「理想主義」という批判は当然だ。
そうなろうとする理想像にすぎないのだから。
しかし理想を持たない今の利益のためだけの憲法なら、そもそもいらない。

 憲法は理想に向けて、政府や権力を規制するためにあるものだ。
権力者があまりにも勝手にすべての力を持ってしまわないように、少しずつ削ってきたのが「三権分立」だったり「立憲主義」だったりした。
その権力を縛る大事な書類が「憲法」なのだ。

 これは国民を縛るためのものではなく、権力を持つものを縛るためのものなのだ
その根本を理解していない政治家たちによって壊されるままにするのは、愚かすぎはしないだろうか。


「この縛っているロープが邪魔なんで取ってくれないか。
 そうその調子。やっと外れたね。
 せっかくここにロープがあるんだから、このロープで君たちを縛らせてもらえないかな。
 だって公共の福祉って大事だろ?
 福祉の名のもとに、君たちが義務を忘れて権利ばかり言い出したら困るだろ?
 全員じゃないよ、一部のわがままなヤツを縛るだけさ・・・」

 今の安倍首相は明治初期にやっとのことで解いた不平等条約を、TPPによって自ら受け入れようとしている。
そして権力者を縛るためのロープで、国民の自由を縛ろうとしている。

 こんなことをさせないために、ぼくらは少しだけ賢くなったほうがいいのではないか。・・・

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

幣原喜重郎氏とは?と調べたところ、敗戦直後の内閣総理大臣だった。
憲法9条 戦争放棄条項が生まれた経緯を記した憲法調査会調書が国会図書館に存在する。

アメリカから押し付けられた憲法と言われているが、この調書の中で、
「原爆を手にした人類は、戦争放棄こそ生き残るための方法。
第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。」
と説いている。

全文をぜひ読まなければならない。
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生ごみ減量 段ボールコンポスト

2013-07-19 16:06:23 | 環境
四街道市で段ボールコンポストの会の講習会に参加。
生ごみの減量を図るため、市の助成金を受けて活動を続けている市民グループ。
福岡市のNPO法人環境生活研究所の研修を受けたお二人は、少しでもごみの減量化に貢献するため毎年講習会を開催している。
スタートアップ講習会の1か月後に上手くいっているか、フォローアップ講習も行っている。



生ごみをヤシ殻と籾殻燻炭を使って発酵させて、ごみの減量をするといういたって簡単なもの。



私はEM菌もコンポストも米ぬかを使った発酵も、もちろん段ボールコンポストも自己流ながら試してきた。なかなか上手く続けられなかったので、久しぶりの挑戦となる。

コンパクトな段ボールキットなので、気軽に始められる。
さて、何もごみが入れていないコンポスト材。



これから4か月後、上手にできているでしょうか?
楽しみ。
ごみに出すのが嫌でスイカも買わなかったが、怖くないのでさっそく丸ごとスイカを買ってきました。
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「日々の一滴」あっけなく現れた”本丸”(フクイチ)生活と自治7月号から

2013-07-14 09:53:25 | 原発問題
「生活と自治」7月号から
裏表紙に藤原新也さんの「日々の一滴」という連載がある。
この写真はスゴイ。”百聞は一見に如かず”。
汚染水問題の深刻さ、杜撰なチェック体制がこの写真には凝縮されている。

というわけで、記事を転載します。



「あっけなく現れた”本丸”」******************

 昨今は報道が目的であっても、福島県浪江町など帰還困難区域への入域許可が下りにくくなっている。
表向きには盗難などの警備上の問題もあってのことと聞くが、原発問題から国民の目をそらせる何らかの力学が働いていると感じざるを得ない。
 
 そんな中、この5月の半ば、あるルートの力添えを得て浪江町と双葉町に入ることができた。
低い所での空間線量は毎時4〜5マイクロシーベルト。
線量が高いと言われる赤宇木では雑木林の中の地面線量は計測限界毎時100マイクロシーベルトの線量計が振り切れた。
それは予測の範囲内だったが、今回の取材には”誤算”があった。

 双葉町に入り、例の「原子力明るい未来のエネルギー」という横断看板をくぐり、せっかくここまで来たのなら、できるだけ原発に近づいてみようと車を走らせ、遠く小山の向こうに建屋の煙突の見えるところまで行った。
その方向を目指して道路を紆余曲折し、しばらく走るとどこか映像で見たことのあるような無機質な建物が左手に現れた。

 免振重要棟に似た建物だった。
 あっけにとられた。
あまりに原発が間近だったからだ。
と思いながらさらに道なりに車を走らせると目の前にとつぜん3つのカーブを描いた白い屋根が現れ、その前に遮蔽格子盾が幾つも置かれ緊張が漲っている。
再びあっけにとられた。
とつぜん原発のゲートが現れたのだ。

 車を降りると9名の警備員がこちらを注視し、幾人かが大声を上げながら両手をバッテン印を作り、息きせ切ってこちらに走ってくる。
スタッフのカメラのデータは消されたが、手のひらに入るカメラで撮った私のデータは温存された。
写真を見て驚いたのは建屋から約1キロ離れたゲート間近まで汚染水貯蔵タンクが押し寄せていることだ。
それ以上に驚いたのはあまりにもあっけなく原発ゲート前に侵入できたことである。
警備員があれだけ興奮するほどの警戒態勢でありながら、その前にチェックポイントがひとつもないずさんさは、ゲート内で何が起きているかを想像させてあまりある出来事だった。

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私たちが女川原発を視察に訪れた時も、矛盾を感じたものだった。
何重ものチェックでダメ出しが出された。
にもかかわらず、自分たちのHPには航空写真を載せている。

ずさんな管理と権威主義。
そして都合の悪いことから目をそらさせようという体質が問題なのではないだろうか。
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7/4.5 飯田市再生可能エネルギーツアーNo.2 風の学舎編

2013-07-13 11:10:38 | 再生可能エネルギー問題
7/4飯田市ツアーの目玉企画、NPO法人いいだ自然エネルギーネット山法師が運営している「風の学舎(まなびしゃ)」に宿泊。
化石燃料ゼロハウス。
自然エネルギーでの生活、ということで、当初プランは朝食は自分たちでカマドでの炊飯とみそ汁を作るということだった。
ちゃんと朝ご飯にありつけるか自信がなかったので、このプランは却下。
ところが我がさくらネットには、ちゃんとカマドでご飯が炊ける人材がいたのでした。
次のチャンスには道端さんのカマド炊きのご飯をいただけるかも。
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山法師の会員の手で4年がかりですべて造ったという建物。
築3年の家屋を解体することになったので、その建材を使ったということだったが、無垢材を使った素晴らしいものだった。
二階建て。外階段で。
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オーストラリア製のクッキングストーブ。
燃料は薪でオーブンが使える。
薪はクヌギやブナ、コナラなどどんぐりがなる木が適しているということで、灰もほんの少ししか出ないそうだ。
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囲炉裏がいい感じ。
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屋外には縦型風車が回っていた。
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デッキから見た伊那谷。
晴れていたらもっといいのに、と雨模様がちょっと恨めしい。
見晴らしもいいけど、風向もいい。
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雨水はトイレに利用。
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風の学舎での講義。
事務局長 平澤さんからたっぷり90分の講義を受けた。
本来なら120分かかるコースということだったがぎゅっと詰まった早足の講義。
(飯田市の男性方はみなさん早口なのかもしれない。)
平澤さんは飯田市役所職員で早期退職してNPOで活躍中。
7月の予約がフルで入っていたが、お忙しいでしょうねえ。

日本はエネルギー源の大部分を化石燃料に頼っており、輸入している。
エネルギー変換効率は電気が一番ロスがあるということで、結局、3割を無駄にしている。
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原発なくても電力は足りてるのは証明されてしまったので、もう計画停電などという脅しはできない。
今は値上げという実力行使。
やっぱり独占はいかんぞ。
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危険な原発一覧。
詳細は原発ゼロの会 原発危険度ランキング
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脱原発推進国一覧。
ドイツは福島原発事故後いち早く脱原発を打ち出したが、他にもこれだけあるじゃないか。
原発事故を起こした張本人は、「原発事故の経験を活かして(?)」原発を輸出しようとしている。
いまだに毎時1000万ベクレル大気中に放出しており、地下水汚染水を海に垂れ流している事実が明るみに出ているのにもかかわらず。
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夜間の余剰電力を使って揚水発電をしている図。
デンマーク ロラン島でレオ・クリステンセンさんは「日本は揚水発電ができるからいいですね。」と言っていた。
揚水発電は充電器と同じ働きをするということで、余剰電力で水を高みに上げて、必要な時に発電できる仕組みとなる。
現在は原発の夜間電力の利用方法になっているが、太陽光発電でも同じことになる。
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雨模様でもきれいに見えた夜景。
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7/13〜 新宿武蔵野館で「いのちの林檎」上映

2013-07-10 12:55:34 | 化学物質過敏症
化学物資過敏症患者 早苗さんと美智子さん母娘を主人公に描いたドキュメンタリー「いのちの林檎」が7/13日より新宿武蔵野館で上映される。
昨年4月、私たちも船橋で自主上映会を行って、170人の方に観ていただいた。
各地で自主上映会を繰り返しながら、「ぜひ大勢の人に観てもらいたい」と願っていたが、いよいよです。

「いのちの林檎」公式HPによると
新宿武蔵野館だけじゃなく、福山市・シネマモード7/13〜 大阪テアトル梅田 8/24〜 でも上映される。

7/10 東京新聞記事より***********

化学物質過敏症の女性「闘病の3年 映画に」無農薬のリンゴが命綱

 林檎の無農薬栽培に取り組む青森県の農家木村秋則さんの実話を映画化した「奇跡の林檎」がヒットする中で、木村さんのリンゴにまつわるもう一つの映画が13日、東京・新宿武蔵野館で公開される。
タイトルは「いのちの林檎」。
木村さんのリンゴに命を救われた川崎市の女性を扱ったドキュメンタリーだ。

 主人王の早苗さんは2001年、川崎市の自宅で倒れ、北里大学で化学物質過敏症と診断された。
化学物質に反応して呼吸困難や頭痛、失神などが起きる疾患で、1996年に新築した際に初期段階ともいえるシックハウス症候群になっていた。
倒れた日は近くのゴルフ場の農薬散布日だった。

 窓から入るわずかな煙草の煙や車の排ガス、香料や消臭剤などにも苦しむ日々。
03年に症状が激しくなり、普段は飲める浄水器を通した水さえ一滴も受け付けない状態に。
そんな時、母親が自然食品店を回って出会ったのが木村さんのリンゴだった。
無農薬、無肥料栽培のリンゴに症状は出ず、以後、早苗さんの支えになった。

 できる限り化学物質を避けるため、09年に母親と長野県の高地に移住した早苗さん。
映画は移住の前後3年半の姿を追い、その苦しみをつづる。

 自主上映を重ね、埋もれていた名作を発掘するため、広島県で開かれた「お蔵出し映画祭」でグランプリ獲得。
劇場公開にこぎつけた。

 早苗さんは、今なお「頭も体も酸素が不足したような状態」で、症状がひどい時は木村さんのリンゴをジュースにして命をつないでいる。
劇場公開に「社会とつながりができたと感じている。
「一般の人に化学物質過敏症を知っていただけると嬉しい」と期待する。

 上映は朝1回で、当面3週間の予定。
劇場前売り1300円。当日1800円。
問い合わせは新宿武蔵野館(tel 03-3354-5670)
映画の問い合わせはビックリ・バン(tel 090-1651-4496)

化学物質過敏症とは
現代環境病のアレルギー疾患で、発症のメカニズムは今のところ解明されていない。
身の回りの化学物質があふれる現代、NPO法人「化学物質過敏症支援センター」は、発症者は全国で100万人を超すとみる。
化学物質を一度に大量摂取するほか、微量を長期間にわたり体内に取り込むことでも発症しやすいといい、「潜在発症者も多い」と警告する。





以前のブログを見直したところ、とっても素敵な感想を寄せていただいていた。
東京新聞の記事もさることながら、これに勝るものなし。

映画「いのちの林檎」へのうれしい感想から

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先日は映画「いのちの林檎」見させて頂き、非常に打たれました。
よい映画を知る機会を与えて頂き、本当にありがとうございました。
その場で走り書きしてしまうより、もっと落ち着いて感想をお書きしたかったので、
アンケートお出しせずに帰って来てしまいかえってご迷惑かとは思いますが、お許し下さい。

私が心打たれたのは、被害の深刻さを初めて知らされた驚きにも増して、映像作品としての質の高さです。
どうしても職業柄ビジュアルから入っていくので、不謹慎にとられるかも知れませんが、早苗さんとお母さんの美しさ、容姿を含め、オーガニックなものしか身につけられない故の身の回りの品々の素朴さ。
余儀なくして向かったとはいえ、身を置く信州の自然の飾らない美しさ。
木村さんの人間味の滲み出る魅力、りんご園の美しさ、今の農法に辿り付くまでのエピソード。
また、本物のTV中継でも、あれほど真に痛みまで伝わってくる迫力のあるプロレスの実況映像は見たことがありません。
シンプルな編成のジャズのバックグラウンドもひとりひとりのひたむきさを裏打ちする様で胸に迫ってくるものでした。

作品全体が、タルコフスキーの「サクリファイス」の続編もかくやと思えるクォリティの高さがあります。

社会運動を核として問題提起を目的とし制作された映像にありがちな押し付けがましさはなく、事象をより俯瞰から捉えた視点が感じられ、そこに、制作に当たられた方々の「伝えよう」という強い決意がうかがえます。
ビデオカメラを回す時間もギリギリに制限された極限の状況で、根気づよく何年にも渡って一切そのクィリティを落とすこと無く撮影を続けられたことを思うと、それだけで深い感動を覚えます。

間違いなくこの映画は、こういった問題につきまとう偏見の壁を突き抜けることのできる存在です。
ドキュメンタリーフィルムとしては、マイケル・ムーアやアル・ゴアがなし得た域に達していると思います。
この映画が、もっと広く配給され、多くの人の目に触れる機会はないものでしょうか?
なにしろ問題そのものが多くのスポンサーになりうる企業、団体にとってまさに「不都合な真実」なだけに簡単なことではないでしょう。

映画上映に尽力される皆様、病気の存在の周知に尽力される皆様のさらなるご努力にエールをおくりつつ、非力ながら、映画と被害者の存在を出来るだけ多くの方々に知ってもらえる様な方法を探って参りたいと思います。

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7/4.5 長野県飯田市再生可能エネルギーツアー記 NO.1

2013-07-09 17:38:57 | 再生可能エネルギー問題
かねてから視察に訪れたいと考えていた長野県飯田市。
再生可能エネルギーを自治体として推進してきたことは有名である。
さくら・市民ネットワーク発で企画し、他市のネット会員も参加した総勢19人のツアーとなった。
昨年のドイツ・デンマークエコツアーでお世話になったリボーン社にお願いして、充実したハードな内容となった。

7/4東京駅集合で廃食油から作ったバイオディーゼル燃料で走行する通称「てんぷらバス」
環境問題に取り組むリボーン社ならではの一押し企画。
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4日のスケジュールは、飯田自動車学校が車庫の屋根につけて稼働始めたばかりの太陽光パネルを見学。
飯田市は標高が高く、山に囲まれて晴天日が多く、日射量も高いので、太陽光発電に適しているとのこと。
飯田自動車学校社長さんから、今後もっと広げていきたいという抱負を伺った。

説明してくださったのはおひさま進歩エネルギー株式会社のYさん。
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次に伺ったのは、全額寄付金で設置した屋根貸し発電の第一号、明星保育園。
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ここでも園長先生と保育士さんから丁寧な説明をしていただいた。
もともと園長先生が環境教育に力を注いていらっしゃったようだが、太陽光発電を始めたことで園児たちがとてもエネルギー問題に興味をもって取り組んでいるそうだ。
親に「使っていない電気は切らなきゃいけないよ」、と電灯を切って回ったり、父親参観日には一緒に太陽光でパンケーキを焼いたり、アルミカン利用のゆで卵器を作って実験したり、太陽光発電で動く自動車と多種多様な取り組みを伺った。
もったいないばあさんが描かれた地図は、登園時にお母さんと道のごみを拾ってくる園児の話から広がって、みんなでゴミ拾いをして、どこにどんなゴミが落ちているかを地図に落としたとか。
「たばこのポイ捨てもいけないよ」と子どもたちから言われたら、大人は反省しなければならなくなるはず。
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どれだけ発電しているか、太陽光発電を子どもたちにわかりやすく「見える化」。
晴れていれば全部点灯する仕掛け。
手動です。
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おひさま進歩エネルギーのファンド「0円システム」で太陽光発電を設置した森本さん宅へ。
毎月19,800円定額支払いを9年間するシステムで、設置費用が0円で賄われる。
余剰電力は売電できるため毎月売電売り上げがあるということだった。
10年目からは設備は自分のものになる。
家を新築するときに再生可能エネルギーを最大限使ったものにしたということで、太陽光発電、太陽熱温水器、まきストーブ等々憧れのエコハウスを建てた森本さん。。
今年の飯田市議会選挙で市議になっていた森本さん宅前で記念撮影。
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庭木の間からまきストーブの煙突や太陽光発電パネル、温水器が屋根の上に乗っている。
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「市民政治の出番だ!集会」 頑張れ 大河原まさ子さん

2013-07-08 09:26:33 | 政治
7/7といえば七夕、いえいえ大河原雅子さんを応援する集会が四谷であった。



公示2日前に民主党から公認を取りさげられた大河原さん。
こんなことに負けてはならじと、「市民政治の出番だ!集会」が開かれた。
急な呼びかけにもかかわらず、各市民団体が集まって会場は大盛況。

大河原さんがこの6年間、私たち市民の声を国会に届けるためにどれだけ活動してくれていたか、
市民団体からの声にもその地道な活動がよく分かった。

民主党という政権与党での経験もとても貴重なものだったと大河原さんも言っていた。
その通りで、
八ッ場ダムがいかに無駄な公共事業か、ということも大河原さんが民主党の中で声を発したからマニフェストにも掲げられたわけだ。
そうじゃなかったらいまだに八ッ場ダム問題はこれほど表に出ていなかっただろう。

脱原発、反TPP、改憲反対と私たちの声を国会へ届けるためにも、もっと市民派議員を送り出さなければならない。

原発ゼロの議員を増やすためにも、「緑茶会」が重点的に推薦する候補者だ。
「緑茶会」って?
『緑茶会は脱原発を実現してくれる政治家』を応援する政治団体で、重点候補者から、まあまあ期待できるかなというところまで幅広く推薦、支持、支援とランク付けしている。
大河原さんは、緑茶会の推薦候補、星5つ。

緑茶会HP http://www.ryokuchakai.com

「無所属女性議員を再び国政へ」

そのためには、大河原まさ子さんを欠くことはできない。

七夕の短冊に「大河原まさ子さんを国会に送って、脱原発を実現しよう」と書いた。

電話かけなどのボランティアを募集している。
また、大河原さんのフェイスブックもぜひ覗いてください。
https://www.facebook.com/ookawaramasako


集会を終えたところで、NHKからの取材を受けたが、あまりにも力が入ってマイクに鼻をぶつけてしまった。
これはボツですね。
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