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FLAGS『時代の背中』

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【社会人野球名将・垣野多鶴氏 その2】前人未到の都市対抗4度目Vへ

身ぶり手振りでバッティング論を語る垣野多鶴氏

 <夢の実現への最後のハードル>

 私は三菱自動車川崎(三菱ふそう)時代に2度監督を経験しています。1回目は10年間チームを率いました。7年間、負け続けてたチームを10年間で7回都市対抗に出場するチームに変えたわけですから改革はある程度は成功だったと思います。しかし、都市対抗を制することはできませんでした。

 都市対抗出場が決まるとよく「本大会での目標は?」とよく聞かれます。そうすると目標はやはり優勝ということになります。それ以外にはありません。ところが、そう口では言っておいて引いている部分もあったのではないかと後になって思いました。そんなことを口にするのはおこがましいのじゃないかと。それで監督1回目の10年は終わりました。2回目の監督就任はシドニー五輪のころです。シドニー五輪では2年くらいコーチとしてチームづくりのお手伝いをしました。そのとき選手発掘のために都市対抗の本大会を毎日観戦していました。そうするとあるとき「都市対抗で優勝するのはそう難しくないぞ」と思えるようになりました。どうしてそう思うようになったのかはよくわかりませんが、1回目の監督が終わって10年間、私は五輪などを通じて世界の野球を見てきていました。あるいはそうした経験がそう私に思わせていたのかもしれません。あれは不思議な感覚でした。そして、2回目の監督就任です。おこがましいといった感情はどこかに消え去り、本気になって都市対抗優勝を目指すぞという話を選手にも繰り返ししました。1回目の監督時代についてきてくれた選手には申し訳ないのですが、やっと指導者が本気になったというか。何事も本気になって取り組まなければいけないということに改めてそのとき気づかされました。

 1回目の監督を終えた後の10年間、海外で日本とは違う教え方をしてるのを何度も目の当たりにしてきました。バッティングはフルスイング、打ち方も外国の方が基本通りのセンター返しをします。その中でも私が一番驚いたのはその当時のアメリカのナショナルチームの練習でした。バッティングの形が全部同じなのです。みんな斜め45度に構えてといった具合です。不思議でした。自由な国といわれているアメリカでなぜみんなが同じ構えをしているのだろう。日本の方が余程自由ではないかと。そう考えていてたどり着いたのはやはり基本なのだなという結論でした。基本を実践するということは非常にシンプルなことなのです。

 バッティング理論の中に「ロッキングモーションというのがあります。よく大リーガーがやっている上体を揺らすあの動きです。あるとき子ども向けの野球の教科書をつくる目的でブラジルに行きました。その参考資料がオーストラリアのレベル1という教科書でした。そのときに初めて「ロッキングモーションというものに触れました。その教科書にはティーバッティングのときにいったん前に体重をかけてそれを後ろに戻してから振れと書いてありました。この本を最初に読んだときにはなぜこんなことするのさっぱりわかりませんでした。ところが、それから何年か経って、アトランタ五輪の前年、当時の日本のナショナルチームはフロリダでキャンプを張っていたのですが、そこで衝撃を受けることになります。偶然、隣でキャンプを張っていた大リーグのツインズの練習を見学していると、あの教科書にあった「ロッキングモーション」の練習を大リーガーが実践しているではありませんか。あのときは本当になんと形容したらいいのか、新鮮すぎて、感動しました。ああ、こういうのが本当の基本なのだなとあらためて思いました。

 バッティングフォームがいくら美しくてもリズムとバランスがよくなければバッティングは壊れてしまいます。バッティングの2大要素の中の上体の揺らし、つまりリズムがロッキングモーションの練習の中に隠されているわけです。私はそういう基本中の基本を実際に目にして結論づけてから選手に教えているわけだから決して間違ってはいないと確信しています。だから選手にも堂々と教えることができます。経験論だけで教えているわけではない。きちんと裏付けがある。だからチームのバッティングもよくなっているのだ。そう自信を持つことができました。

 <若い世代への接し方>

 確かに時代だなと感じることもありますが、私は10年や20年で日本人が持っているDNAは変わらないと思っています。だから相手が分からなければ分かるように話をして選手に前を向かせるよう指導してきました。そういう風にしてきたせいか、選手とのコミュニケーションに関して過去に苦労したなという記憶はありません。

 もちろん、選手に話をした時点での温度差や時間差はあります。パッと飛びついてくる選手もいれば、すぐには理解できない選手もいます。そういうときには納得するしないは別にしてそろそろ理解してもいい頃合いを見計らって「これはチームの方針だから守ってもらうよ」という言い方に変えていきます。こうしていかないと、なかなか勝てるチームはできません。

 たとえばある人間の集団の中にA、B、Cと群れがあるとします。Aは手が掛からずスッと動ける。Cは手が掛かってしょうがない。BはA、Cどちらにでもなりうる。このA、B、Cが3分の1ずつ存在しているとします。そうすると、この悪さをしているCが主流になってしまったときにはチームはガタガタになります。だからチームの良し悪しはこの真ん中にいるBがAの方に動いたり、Cの方に動いたり、どっちに比重がかかるかで決まります。極論すればAは放っておいてもいい。BがAの方を向くように、Cが悪さをしないように見張っておけばいいのです。
 
 <これから先の夢と若い世代へのメッセージ>

 チャンスがあるかどうかはわかりませんが、都市対抗優勝4回という監督としては誰も達成したことのない記録に挑戦したいと思っています。それが今の私の夢です。

 その夢を達成するためにはその場、その場で一生懸命やることが一番大切だと思います。私の好きな言葉に「一生懸命さの中に隙がないようにというのがあります。これは能楽師の喜多実さんの言葉です。人が何かを始めるとき、最初は夢中になって取り組むからレベルの高いところで進んでいきます。ところが、月日が経つと段々レベルが低下していきます。飽きるといってもいいかもしれません。だから一生懸命さを保つのは難しい。常に今の自分より高いレベルを目指しながら一生懸命さとともに進んでいかなければ目標や夢は達成できません。

 それともう一つ。夢を実現するには自分の役割を理解してその役割を受け入れることが大切です。今の世の中、自分の夢が実現できなかったり、好きな仕事ではない仕事をやらされたり、いろんな不平不満があると思います。しかし、それは人間の世界だから当然のことです。これまで書いてきたことと矛盾するようですが、すべての人がすべての夢を叶えるなんていうのはありえない。叶わないことに不平不満を持ってもしようがないのです。今、自分の置かれている立場をしっかり理解してそれを受け入れていかないと人は不幸になるだけです。未来には必ずいいことがある。そう信じて生きていくことが最善ではないでしょうか。

 夢は誰もが持つことができます。夢を実現するチャンスも平等にあるのだろうと私は思います。ただ、それを見逃したり、努力が足りなかったり、そういう個人差というのはあると思います。繰り返しになりますが、夢が全部かなえられるかといえば、そうではありません。しかし、ある瞬間に、夢が叶ったという幸せを味わえるかもしれません。一生懸命にさえ生きていれば。私はそうした理想や夢を求める過程の中にこそ、人間の尊さはあるのだろうと考えています。

 自分の役割を理解してそれを受け入れ、一生懸命に生きていく。私の経験上、そういう生き方への理解度が高いチームほど強い。勝つという夢に向かって一生懸命やる中で個々の仕事に責任が生まれ、連携し合い、絆を強めていくからです。私が野球人生を通じて得たこれらの教訓が読者の方々の役に立てば幸いです。

 ▼垣野 多鶴(かきの・たづる)1951年(昭26)6月15日、長崎県佐世保市生まれ。佐世保工、東海大、三菱自動車川崎で内野手として活躍。80年から三菱自動車川崎の監督(選手兼任)に就任。85年には都市対抗4強入りを果たす。89年に監督を優待、その後、アトランタ五輪日本代表のコーチなどを務め、99年に三菱自動車川崎の監督に復帰。2000、03、05年と3度、都市対抗を制した。同大会3度の優勝は他にヤマハ(日本楽器)を率いた川島勝司氏だけ。08年に三菱ふそう川崎が活動休止となり、09年にNTT東日本の監督に就任。11年都市対抗準優勝。13年にNTT東日本の監督を勇退。現在は同チームのアドバイザー。

[ 2014年4月2日 ]

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