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例外中の例外、でもオレには有意義だった「打撃投手→中継ぎ待機」

1991〜93年にダイエーで投手コーチを務めた権藤氏
1991〜93年にダイエーで投手コーチを務めた権藤氏=1991年3月撮影
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 どうも〜。1週間のごぶさたです。下柳です。スポニチアネックス読者のみなさん、いかがお過ごしですかな?

 早いものでもう1月下旬にさしかかって来て、もう間もなく球春到来、そうプロ野球12球団の春季キャンプが2月1日からスタートしますな。

 オレも現役時代は1月31日が憂うつでね。「あ〜、今年もいよいよ始まるんか〜」みたいな気分になって。その日の夜なんて、本当に落ち着かない。実際、1日の朝になってユニホームを着れば「よしっ。今年もやるぞ」という気分になるんやけどね。何回経験しても、キャンプイン前日だけは苦手やったわ。

 さて、今週も権藤さんシリーズの続きですよ! 権藤さんと言えば「権藤、権藤、雨、権藤」と呼ばれていたぐらい試合で投げまくっていた人。今のプロ野球ファンの人にはピンとこんかもしれんけど、新人としては歴代最高となる35勝をマークしているからね。先発した試合も調べてみると何と44試合! 当時は年間130試合やったからほぼ3試合に1回の割合で先発しとったことになる!!

 それだけでも十分ビックリやけど、登板数は1年の半数以上となる69。完投は32、完封は12、イニング数にいたっては429回3分の1…。ほんま、気の遠くなる数字やわ(笑)。

 でも、権藤さんは逆に短命に終わった自分自身の経験を生かして、「投手の肩は消耗品」ということを仰っていた。ひるがえってオレは、試合前に打撃投手で登板して、そのまま中継ぎ待機する…。いわば、例外中の例外。端から見れば「試合前の打撃投手」なんて、とんでもないことかもしれんけど、オレにとってはすごく有意義な練習やった。まず、そうやって投げられること自体が2軍にいることより良かったし、試合前から試合に近い雰囲気を味わえるという大きな利点があった。

 1度、試合前の時点で打者に対して投げておけば、試合のマウンドに上がったときに全然違う。気持ちの面でも余裕が持てたよね。

 読者のみなさんには分かりづらいことだと思うけど、いくらブルペンで投球練習していても、いざマウンドで投げるとなると周りの景色も違うし、距離感もすぐにはつかめない。ましてや打者も立っているわけやからね。だからこそ、試合前に打撃投手を務めておくことは、感覚の部分で大きい。「よし、オレはきょう2回目のマウンドや」と思えるだけで、試合にも入りやすくなるから。

 もう一つメリットを付け加えるとするならば、やっぱり誰もやらない練習をすることは自信になるよね。「これだけやったオレが、ライバルに負けるわけがない」。そう思えるだけでも、結果は大きく変わってくる。心の支えというか、追い込まれれば追い込まれるほど、そういう地道な練習がモノを言うからね。

 最後に余談を一つ。権藤さんは佐賀県の出身で、オレの親父とは同郷やった。おまけに、年も近い。以上、権藤さんのプチ情報でした。では、また来週!

[ 2015年1月26日 ]

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