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延長50回の死闘は「凄い!」の一言 両投手の精神力を称えたい

 スポニチアネックス読者のみなさん、ご機嫌いかがでしょうか? どうも〜、下柳です。

 ようやく、暑さも和らいできましたな。過ごしやすくなってきて良かったわい! なんて思っていると、全国高校軟式野球選手権大会で、ごっつい試合がありましたな。

 準決勝の中京(岐阜)―崇徳(広島)戦ですか。なんと延長50回! 日に日にニュースの扱いが大きくなっていくもんやから注目しとったけど、もう凄い! の一言しかないわね。

 先発した両校の投手は何と言う精神力やろうね。中京の松井君に至ってはその1試合だけで700球を超えたらしいやんか。もう、ここまで来ると、頭が下がるばかり。オレも長いこと野球をやってきたけど、そういう体験はもちろんない。延長15回とかも、やった記憶がないもん。ただ、オレも投手やったから、両投手の体のことは少し心配だけどね。

 試合を4日間にわたって続けた選手はもちろんやけど、応援団、あるいは審判の方々も大変やったろうね。そら真夏に比べればマシかもしれんけど、日中は外にいるだけで汗が噴き出るもん。でも、その分、その歴史的一戦に携わったすべての人々は、忘れがたい夏の思い出をつくることができたやろうね。

 さて、今週から2週にわたって、現大リーグ・カブスの藤川球児との話を書かせてもらうことにしましょうか。

 オレが日本ハムからトレードで阪神に移籍してきた2003年は、まだ1、2軍を行ったり来たりする、いわゆるエレベーター選手やったよね。球速も140キロそこそこしか出なかった。なぜなら、肩、肘を故障することが多かったからね。

 でも、その中でもアイツの非凡さというか、潜在的な能力の高さを感じる出来事はあった。ファームでのリハビリを経て1軍へ戻ってくるたびに、少しずつやったけど球速を増していっていた。肩周りの筋肉とかを鍛える過程の中でやろう。そういう地道なトレーニング、不遇の時代を経て、球児は阪神だけでなく日本球界を代表する投手になっていったんよね。

 リーグ優勝を果たした05年はセットアッパーとしての活躍やった。オレもリリーフの経験があるから分かるんやけど、いくら球児といえど、いきなりストッパーというのは難しいものがあったと思う。

 球児にとって幸運だったなと思うのは、巡り合わせというか、同じチーム内に久保田智之がいたこと。球児が主に7回を投げ、久保田がストッパー。久保田はとにかくタフなやつでイニングまたぎだけでなく、ロングもこなせる投手やった。

 試合終盤の競った場面でも複数イニングを任せられる久保田がいなければ、逆に球児がそこを任されていたかも分からない。そうなると、当然、肉体面での負担も大きくなっていたやろうし、もしかしたら新たな故障を招くこともあったかもしれないからね。

 もちろん、久保田だけでなく、2005年の優勝時にはジェフ・ウィリアムスもいた。その年に結成された「JFK」は社会現象にもなった。それぞれが、それぞれの良さを引き出せる3人やったな、といま改めて思うよね。

 というわけで、来週はジェフの話も絡めながら、引き続き球児との思い出を紹介させてもらうことにしますわ!

[ 2014年9月1日 ]

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