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「中途半端に投げ出さない」言葉に対しての責任、そして米球界挑戦

 どうも〜。スポニチアネックス読者のみなさん、いかがお過ごしですかな? 下柳です。

 さて、さる11月30日には「第8回 下柳剛ドリームカップ 長崎少年ソフトボール選手権大会」の予選大会がありましたわ。前にも書いたけど、今年は壱岐、五島、対馬の遠路離島から計10チームが参加。お陰様で県内47チームでの大会になりました。また機会を見ながら、当コラムでも大会の様子を紹介させてもらいますわ。

 今週も星野仙一現楽天シニアアドバイザー(SA)との思い出について書かせてもらいますわ。2012年、オレは楽天にテスト入団。開幕ローテーションに入ったものの、例年以上に早く仕上げたこともあって、調子が一向に上がらんかった。4試合に登板して0勝2敗、防御率は5・29。そこでオレは2軍落ちを通達された。

 引退の2文字が頭をかすめたオレは、星野さんの監督室を訪ねた。

 「監督すみません。もうこれ以上は頑張れないかもしれません。もうユニホームを脱ぎます」

 すると、監督は…。

 「周りのことは関係ないから、お前は自分のことやれ!」

 段々と、監督の言葉は熱を帯びてくる。最後は涙ながらに、こうまで言ってもらった。

 「そんな寂しいことを言うな! 一緒に優勝した仲やないか」

 その瞬間、オレの心は決まった。引退の2文字もどこかへ吹っ飛んだ。

 「もう一度、1軍で投げてやる」

 次の日からは仙台市の泉中央にある2軍施設でトレーニングに励んだ。冒頭にも書いたように、地元長崎でのソフトボール大会を通じて子供たちには「中途半端に投げ出すことだけはしたらいけないよ」と言い続けてきた。その言葉に対しての責任が、オレにはある。そのことも肝に銘じて、来る日も来る日も走り込んだ。

 残念ながら、その後、1軍へ戻ることはできなくて、楽天から戦力外通告を受けた。でも、すぐに辞めようとは思わなかった。毎年11月にある12球団合同トライアウトを受ける考えはなかったけれど、オレには新たな目標ができた。

 それは、アメリカへの挑戦やった。実は阪神へ入団後も、メジャー移籍を考えていた時期があってね。実際、ロッキーズから「先発として」というオファーが届いたこともある。ただ、それは契約に至る途中で、「中継ぎでやってほしい」と条件が変更。そういう経緯があって、メジャー移籍は実現せんかった。

 自分で特に意識したことはなかったけど、心のどこかで「やり残した感」があったんやろうね。だからこそ、アメリカでのトライアウトを思い立ったんやろう。仙台を離れてからは社会人チームと一緒に練習させてもらったり、まさにジプシー。それでも寂しさはなかったし、むしろ「もう一度、野球ができるかもしれない」という希望がオレを支えていた。

 翌2013年2月にドジャースのテストを受けるために渡米してからも、拠点にできる練習場もなかったからね。大学のグラウンドを借りたり、あるときはアメリカの高校生と一緒に練習したり。それも、これも、今ではすべてが良い思い出やね。

 そうそう、最後にもう一つ。楽天から戦力外通告を受けてから、オレは星野監督に呼ばれた。

 「シモ、仙台で引退試合をやったらどうだ」

 もの凄くありがたいお話やったけど、オレは丁重にお断りさせてもらった。なぜなら、オレはとことんまで野球をやりたかったから。どこか、自分の気持ちにウソをつくというか、中途半端になる気がしてな。

 その判断は今でも正しかったと思うけど、実はあと1試合登板していれば、インセンティブが入る契約やった。う〜ん、やっぱり投げときゃ良かったかもね(笑)。

[ 2014年12月1日 ]

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