「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

日本と世界のリアル状況確認と僕の思索を書き留めるブログ。
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木下ブログの出発点となったミャンマー情勢激変、弾圧された民衆側のスーチー女史率いる野党が総選挙勝利。

2015-11-11 20:53:00 | 署名などの報告(会の活動報告)

上記は、ロイター通信の画像より引用。

このブログは、2007年9月27日に銃撃されて死亡した、ジャーナリスト長井健司氏に関して当時のミャンマー政府に抗議し、ミャンマー軍がジャーナリストを殺して入手したと見られるビデオカメラとテープを返却することを求めるために、僕が立ち上げたのがスタートです(僕が長井さんの友人で、署名活動の事務局も行いました)。知らない人も多いと思いますが、ブログのカテゴリー別や2007年当時の過去記事でご確認ください。

あの殺害から、およそ8年が経過して、ついにミャンマー総選挙で、アウンサンスーチー女史が率いる、野党の国民民主連盟(NLP)が勝利する状況となりました。

もともとこの制度自体、国会の中で軍がそもそも一定程度は議席を占めることが義務付けられています。

ですから、当然に軍側である現体制有利の中で、選挙としては9割以上の議席を獲得している状況に、国民民主連盟がなっています。この結果がこのまま最後まで進めば、軍の状態はあっても、野党側が勝利する可能性は極めて高いです。

軍がその選挙結果を嫌い、強硬手段に出ない限り、国民の意向を反映した新たな政権が出来ることは確実な情勢となっています。

 2007年には、政府への反対運動が弾圧され、死者も出る状態となったミャンマー、長井さんはその状況を取材する過程の中で、命を落としましたが、ロイター通信のカメラマンが撮影した写真によって、その死の状態が世界に伝わり、こうしたことが大きなきっかけの一つとはなって、今日のミャンマー政治情勢の変化もあるだろうと僕は思います。

 僕のブログが、元々立っていた地平が、この長井さんの死の真相を明らかにすること、彼の死の際にぎりぎりまで撮影し続けたカメラとビデオテープを取り戻すことを目的に始めたものでした。当時は反響も有り、10万人以上の署名も集まりました。

多くの人びとを弾圧し、死に追い詰めたミャンマー体制側への異議申し立てが大きかったです。

しかし、8年という時代の流れとともに、長井さんを殺した側から、長井さんが死を賭けて伝えようとした民衆側に、政権は移ろうとしています。

僕はこの選挙結果を、ミャンマー軍が適正に受け入れ、ミャンマー国民の意向を踏まえた政治体制が出来ることを強く期待しています。

可能ならば、あのときに長井さんが撮影したカメラとビデオテープが、新政府になったことによって、発見できれば大変にうれしいと僕は思います。

これについては、「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」でも何か出来ることはないか考えてみたいと思います。

このことは、現在、被曝回避を考えてこのブログを読んでいる皆さんには関係ないことに思えるかもしれませんが、そんなに短絡的な感覚しかない人は、話にならないと僕は断じておきます。

要は、民衆を武力的に弾圧する軍事政権的な状態であっても、その民衆全体の意識が大きく変化すれば、8年程度の月日で、政治体制は劇的に変化することも有り得るということです。

ミャンマーのことを見て、日本のことを考えろということです。「人の振り見て我が振り直せ」です。

 日本がここまで原発事故後に凋落しているのは、他でもなく、一般国民である貴女たちが、本当にこの状況を変化させるために、具体的現実的にどう積み上げるのかという事を、怠けているからに他なりません(僕も例外ではありません)。

要はいろんな形で、ぎりぎりの弾圧を受けることも含めて、国民の声が大きく立ち上がっていないのが、こうした体たらくの根幹原因です。体制側が酷いことは何時でも如何なる国でも当たり前です。しかし反体制側すら駄目すぎるのが、この国の恐るべき低レベルな状態なのです。

みせかけのデモで声を上げても、本気ではない政治行動に、真剣に向き合う政府や政治家などいる筈もありません。

命どころか、逮捕される覚悟さえなき声が、政治的に強い流れになる筈もありません。

一部の政党と一部の活動家、一部の政治運動研究者の自己満足、更に旧来の左翼リベラリズム的な人びとの一定部分での自己満足を満たしているだけです。

何も現実的な達成はありません。

安保法案阻止を巡る盛り上がりとその達成度の低さ、その後におきている原発再稼動に関して具体的な反対勢力の弱体化をみると、この国で反対側にいる政治家・政治運動家たちの現実的混迷ぶりは、尋常ではないということです。

野党の選挙協力体制すら、目処も立っていません。

長井さんの死などから、8年間で大きく舵を切る方向に事態が推移しているミャンマーよりも、国民の本質的な意識レベルは、遥かに低いのが日本なのかもしれません。

否、遥かに低いのが日本です。

貴女はその多数日本人と一緒に沈む船にただ残り続けるのか、我を守るために船から離れるのか、船を沈ませない努力を続けるのか、その選択が迫られ続けているということなのです。

こうした感覚も有さないという方は、このブログの読者はきょうからおやめください。

そんな人間と関わりたいと僕は思っていませんから。

 

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長井さんの事と、木下黄太ブログの現在の在り方をどのように僕は考えていたのか。

そのことは、次の記事でよくわかります。状況は、根源的にはこの時点で想定していたよりも酷くなっていると思います。

2011年3月21日 14:48:42に投稿した記事を再度掲載します。

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福島第一原発の100キロ圏内の皆さんを圏外退避させるべきだとおもいます。

このブログはジャーナリストの長井健司がおこなったことから
カメラの返還をもとめる署名を僕がスタートさせて、
外国政府が
長井さんの命を奪ったことに対しての
怒りを伝えることが大きな目的になっています。
長井さんは、自分の命を犠牲にして、
ミャンマーの民衆がおかれている状況を
伝えたことで世界に衝撃を与えました。

しかしながら、長井さんと僕の考え方の違い、
というよりも根幹のスタンスの違いは
ジャーナリストは生死を掛けるものではあっても、
極力その危険を避けるべきであるということです。
僕は長井さんよりも、臆病者であって、
卑怯者であると自覚しています。
しかしながら危険に身をさらすことを
どこまで自分が許容するのかという根幹について
安易なヒロイズムは絶対に避けるべきと
僕は感じているからです。

それでも、僕の友人でもあった長井さんが存命ならば、
おそらくこの福島原発の惨状が本当は何であるのか、
命懸けで現地に潜入し、
証拠映像を撮影し、世間に公表することで
状況を変えようとしたのではないかとも思います。

ただし、臆病者の僕にはとてもできません。
なぜなら放射能は人間が勝てる相手ではありません。

僕が何ができるのかずっと考えました。
まず当初の東日本大震災報道であれば
人命の救助に少しでもつながる情報を
メディアを通じて出来る限り出し続け、
考えられる限りのことを政府関係者にも話しました。

それは福島第一原発の問題がはっきり認識されたところから
大きくフェィズがことなりました。

福島第一原発は
基本的に原子力の利用に心理的には
元々反対の気持ちが強い僕にとっては
福島の浜通りにある老朽化した施設という印象が
きわめて強いものです。
もちろん海岸沿いにあったので
当然、震災や津波には一定程度配慮をしていると
これまでは勝手に思っていました。
しかしながら、
補助電源が海側にあるなど
きちんとした配慮がなされていない発電所であったことは
あきらかだなと僕は今は思います。

さらに今回の異常事態は
僕の情報源からの情報では
全く想定外の出来事の連続であったことがわかっています。
僕はこの原発に
オペレーション上にどのようなことがおきるのか
色んな形で想定を考えて
シュミレーションを策定している人々がいます。
こうした人々の想定を
はるかに超える状態が続いていると僕の情報源は話しています。

もちろん、いろいろな形で水で冷やし続けるというのは
最も重要な方法で、
まっとうな方法は、極論するとそれしかありません。
それを命懸けでされ続けている
消防、警察、自衛隊、東京電力関連作業員の努力には感謝し続ける以外、言葉はありません。

ただこれはあくまで対処方法です。
根本的な解決にはなりません。(もちろん、時間は稼げます)
電源の復旧がうまくいって、冷却装置が稼動して、
問題なく回復すれば、何も言うことはありません。
そうなることを願い続けてはいます。

しかしながら、うまくいかないことも
僕は想定すべきだと考えています。
映像で見る限り、水素爆発で
破損程度のかなりひどい三号機は素人目に見ても
電源が通れば冷却システムが
復旧するという話が御伽噺にしか聞こえません。
もし、それで何とかなるのなら、
どうして東京電力は直ちに電源に手をつけなかったのか、
僕はずっと疑いの目で見ています。
うまくいかなかった場合、一体何がおこりうるのか
僕はわからないと考えています。

ここで気になっているのがアメリカの判断です。
スリーマイル島の事故も経験し、
原子力の開発について兵器レベルでも
圧倒的な知見を有していて、
なおかつ日本国内でも大気中のサンプル採取なども
独自に行えますし、
偵察機や衛星などで、福島原発についての独自情報が
収集しできて、
さらに日本政府からも情報を
容易に得られます。

そのアメリカは
マニュアル的な手続きではありますが
自国民を
半径80キロ圏内から退避させました。
この圏内にはいてはいけないということです。

関東圏では二百キロ以上は離れている
横田基地や厚木基地などから家族の国外退避は
すでにはじまったときいています。
さらに、横須賀の米軍基地では、
万が一の場合を想定して、
佐世保に本部機能を移すための準備作業が
おこなわれているとも僕は聞いています。
部隊とともに移動を打診された人もいます。

チェルノブイリと状況も違いますので
同じレベルになるとは確実には言えませんが
あのときは高濃度の放射性物質が
半径200キロから300キロくらいでも
降った事は間違いありません。
もちろん風向きがおおきな要素です。
そこによって状況は大きく異なります。
そして、今回の福島原発の事態が、悪化して事が起きた場合、
周囲100キロくらいには確実に影響が出ると僕は想定します。
専門家の中で同じよう最悪想定を立てている人はいますが、
あくまでオフレコベースでしかありません。
そして、いつも
「木下君、実際どうなるのかは本当はわからない」というのが
決まり文句になっています。

たまたま、現在の官邸の中には
複数、知人もいるので
色んな形で僕は懸念を伝えました。
返ってくる答えは
「関わっている専門家で最大リスクを話す人と、
木下君の懸念は同じ感じだよね。
でも、多数決はもっとリスクの低いという人が多くなるから」
といわれました。
「こういうときは、結局多数決しかないかも」とも。

勿論、低いリスクに収まればうれしいと僕は思いますし、
その場合は「木下は妄想癖のある臆病者で屑野郎」と
罵られても致し方ないと覚悟はしています。
むしろ、喜ばしい結末が訪れたのですから。

ただ、リスクというのは起こりうる中で最悪を
想定するべきと僕は感じています。多数決ではありません。
特に、今回は事が起きた時には被害は甚大です。
守らなければならない
国民の生命や安全を守ることが厳しくなるタイプの事象です。
放射能というその捉えにくい本質を考えると、
今、線量が高くないうちに退避を広げる選択肢をとるべきだと
僕は思います。

事がおこってからでは、混乱しさらに間に合わなくなります。
そのリスクも重ねて、伝えられる官邸の知り合いには
話しました。

しかし、政府はアグレッシブに動いている感じがしないです。
最高決定者が決定しない状況とも見えます。
日本のどこの会社でもありがちな光景と同じ感じです。
(政府→会社、国民→社員と読み替えもできますね)
そうすると政府の判断の遅れが
僕ら国民の生死や安全につながるリスクが
増えている感じています。

この状況を放置するわけにはいかないと僕は思いました。
勿論、リスクの想定なので
絶対にこれがおきると断言できませんが
その想定が起きた場合、
今よりもゾーンを広げて退避していなければ
被害がどの程度増えるのかを政府はきちんと認識すべきです。
そのために参考になるのはさっきのアメリカの退避圏の判断です。
僕は最低限、このくらいの退避圏にはすべきと思います。
このブログのタイトルに書いている100キロ圏の退避は
まずこの観点の判断が大きいです。

予防衛生の専門家と話をすると
こどもや妊婦のリスクはさらに高まります。
妊娠できる可能性がある年齢の未婚女性がそれに続きます。
こうした人々は退避圏をさらに拡大すべきと思います。

自国民を殺してしまう政府は、何であれ一番問題だと僕は思います。

長井さんはミャンマー人を殺す政府に立ち向かいました。

 

きちんと判断をせずに、自分達の心が安心し続けるために、
リスクをきちんと見ない人々を僕は許せないですし、
そして政府がきちんと出来ないのなら
事が起きたら、僕は政府が自国民を殺してしまう話になるかもしれないと思います。

 

そんなことにならないように強く願います。
本当に強く、強く願います。


9/27『長井健司さんの七回忌と偲ぶ会』は中止。

2013-09-14 00:39:30 | 署名などの報告(会の活動報告)

 

 9/27に「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」が主催して、京都市内で開催予定だった、『長井健司さんの七回忌と偲ぶ会』は、諸般の事情により中止となりました。

 ご了解ください。

                                  「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」

          


韓国政府、青森⇔千葉の海産物を全面輸入禁止というリアル。長井健司さん七回忌と偲ぶ会のお知らせ。

2013-09-06 23:02:16 | 署名などの報告(会の活動報告)

 韓国は、汚染水問題で、福島県、宮城県、岩手県、青森県、千葉県、茨城県、栃木県、群馬県の水産物を、全て輸入禁止にしました。また他のもので、日本の畜産物や水産物のうち少しでも放射性物質が検出されれば、検査証明書の提出を更に求めるそうです。

 これはまずエリアを決めて、事前の魚類全面輸入禁止措置ですが、千葉⇔青森まで魚はNGは、汚染範囲を考えると極めて合理的に思えます。之について、官房長官が「非科学的」と言い出していますが、ストロンチウムが大量に出ているのに、この核種を検査していないほうが非科学的です。海洋にこれだけ継続的に放射性物質が大量に漏れていて、他国は、警戒するのが当たり前の話。世界的な恥知らずは日本政府と自民党ということになります。

 更に、北海道の一部をどうするのか。東京は首都ということで韓国は配慮したのでしょうし、そもそも輸入自体がほぼないこともあるでしょうが。そして神奈川や静岡沖までは、汚染は想定されますが、水産物全面禁輸措置としては、この範囲内が実は妥当と思えます。群馬・栃木は淡水魚も想定か。もちろん検出されたものは即座にアウトでしょう。

 韓国を嫌韓と言って馬鹿にしたり、韓国の食べ物はまずいし、汚いと差別意識をむき出しにする日本人は一定数いるのが、日頃の現実と僕は思います。僕が、その人たちに言いたいのは、あなたたちが差別している韓国でさえ、「危険可能性」を認識して食べないようにしているモノが、これら東日本の水産物という現実を、まずはきちんと知ることが肝要ではないのかと。

 蔑んでいる相手が、危険だと食べない水産物、それが日本ではスーパーなどで普通に売られていて、子どもも普通に食べているのが、我々日本の現状ですよと。どれだけ、それは実際、悲惨な話なのか。どれだけ、政府に我々は欺かれているのか。この話は、それを示す好例と僕には思えます。

 頼むから、目を覚まして下さい。追いつめられるのは、貴女なんです。

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 僕のこのブログは、ミャンマー軍に殺害されたジャーナリスト・長井健司さんの死について、抗議し、署名活動を行い、ビデオカメラの返還を求めるために書かれたブログでした。この長井さんの七回忌が、9/27におこなわれるため、その連絡をしておきます。なお、このブログが、どうして長井健司さん殺害を抗議する内容のブログから、「福島第一原発を考えます」というブログになり、僕の個人ブログとして、被曝の問題を書き進めているのかが理解しやすいと思い、このお知らせの後に、2011/3/21に書いた記事を部分的に再掲しておきます。

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『長井健司さんの七回忌と偲ぶ会』

 2007年に長井さんがミャンマー軍に殺害されてからちょうど六年が経過した日に、
七回忌と兼ねて偲ぶ会を開催いたします(真言では六年で七回忌となります)。

ご遺族も含め、愛媛県今治市からも参加者がおられるため、今回は京都での開催となります。

高野山真言宗の京都事務所でもある「堀川別院」にお願いいたしました。

9/27(金) 12時半受付 13時開始でおよそ一時間から一時間半程度です。

「高野山堀川別院」
〒6028147 京都市上京区葭屋町通丸太町上る直家町217 
最寄駅 二条城前駅(京都市営地下鉄東西線)
電話&FAX; 075-841-5184

★開催費用をお寺様にお支払いしなければならないため、お布施という固い形式でなくてかまいませんが、お気持ち程度をお持ちいただければ有難いです。

★会場が物理的限界がある為(本堂20人&境内20人程度)、参加される方は、事前にメールして下さい。

★終了後、ご要望が多ければ、懇親会を別途開催いたします。この場合は実費参加でお願いします。これも事前にメールでお知らせ下さい。

★取材に関しても事前にメールでご連絡をお願いいたします。

主催:「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」

連絡先:nagaikenji20070927@yahoo.co.jp

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[2011/3/21  14:48:42投稿記事]

 

福島第一原発の100キロ圏内の皆さんを圏外退避させるべきだとおもいます。


このブログはジャーナリストの長井健司がおこなったことから
カメラの返還をもとめる署名を僕がスタートさせて、
外国政府が
長井さんの命を奪ったことに対しての
怒りを伝えることが大きな目的になっています。
長井さんは、自分の命を犠牲にして、
ミャンマーの民衆がおかれている状況を
伝えたことで世界に衝撃を与えました。

しかしながら、長井さんと僕の考え方の違い、
というよりも根幹のスタンスの違いは
ジャーナリストは生死を掛けるものではあっても、
極力その危険を避けるべきであるということです。
僕は長井さんよりも、臆病者であって、
卑怯者であると自覚しています。
しかしながら危険に身をさらすことを
どこまで自分が許容するのかという根幹について
安易なヒロイズムは絶対に避けるべきと
僕は感じているからです。

それでも、僕の友人でもあった長井さんが存命ならば、
おそらくこの福島原発の惨状が本当は何であるのか、
命懸けで現地に潜入し、
証拠映像を撮影し、世間に公表することで
状況を変えようとしたのではないかとも思います。

ただし、臆病者の僕にはとてもできません。
なぜなら放射能は人間が勝てる相手ではありません。

僕が何ができるのかずっと考えました。
まず当初の東日本大震災報道であれば
人命の救助に少しでもつながる情報を
メディアを通じて出来る限り出し続け、
考えられる限りのことを政府関係者にも話しました。

それは福島第一原発の問題がはっきり認識されたところから
大きくフェィズがことなりました。

福島第一原発は
基本的に原子力の利用に心理的には
元々反対の気持ちが強い僕にとっては
福島の浜通りにある老朽化した施設という印象が
きわめて強いものです。
もちろん海岸沿いにあったので
当然、震災や津波には一定程度配慮をしていると
これまでは勝手に思っていました。
しかしながら、
補助電源が海側にあるなど
きちんとした配慮がなされていない発電所であったことは
あきらかだなと僕は今は思います。

さらに今回の異常事態は
僕の情報源からの情報では
全く想定外の出来事の連続であったことがわかっています。
僕はこの原発に
オペレーション上にどのようなことがおきるのか
色んな形で想定を考えて
シュミレーションを策定している人々がいます。
こうした人々の想定を
はるかに超える状態が続いていると僕の情報源は話しています。

もちろん、いろいろな形で水で冷やし続けるというのは
最も重要な方法で、
まっとうな方法は、極論するとそれしかありません。
それを命懸けでされ続けている
消防、警察、自衛隊、東京電力関連作業員の努力には感謝し続ける以外、言葉はありません。

ただこれはあくまで対処方法です。
根本的な解決にはなりません。(もちろん、時間は稼げます)
電源の復旧がうまくいって、冷却装置が稼動して、
問題なく回復すれば、何も言うことはありません。
そうなることを願い続けてはいます。

しかしながら、うまくいかないことも
僕は想定すべきだと考えています。
映像で見る限り、水素爆発で
破損程度のかなりひどい三号機は素人目に見ても
電源が通れば冷却システムが
復旧するという話が御伽噺にしか聞こえません。
もし、それで何とかなるのなら、
どうして東京電力は直ちに電源に手をつけなかったのか、
僕はずっと疑いの目で見ています。
うまくいかなかった場合、一体何がおこりうるのか
僕はわからないと考えています。

ここで気になっているのがアメリカの判断です。
スリーマイル島の事故も経験し、
原子力の開発について兵器レベルでも
圧倒的な知見を有していて、
なおかつ日本国内でも大気中のサンプル採取なども
独自に行えますし、
偵察機や衛星などで、福島原発についての独自情報が
収集しできて、
さらに日本政府からも情報を
容易に得られます。

そのアメリカは
マニュアル的な手続きではありますが
自国民を
半径80キロ圏内から退避させました。
この圏内にはいてはいけないということです。

関東圏では二百キロ以上は離れている
横田基地や厚木基地などから家族の国外退避は
すでにはじまったときいています。
さらに、横須賀の米軍基地では、
万が一の場合を想定して、
佐世保に本部機能を移すための準備作業が
おこなわれているとも僕は聞いています。
部隊とともに移動を打診された人もいます。

チェルノブイリと状況も違いますので
同じレベルになるとは確実には言えませんが
あのときは高濃度の放射性物質が
半径200キロから300キロくらいでも
降った事は間違いありません。
もちろん風向きがおおきな要素です。
そこによって状況は大きく異なります。
そして、今回の福島原発の事態が、悪化して事が起きた場合、
周囲100キロくらいには確実に影響が出ると僕は想定します。
専門家の中で同じよう最悪想定を立てている人はいますが、
あくまでオフレコベースでしかありません。
そして、いつも
「木下君、実際どうなるのかは本当はわからない」というのが
決まり文句になっています。

たまたま、現在の官邸の中には
複数、知人もいるので
色んな形で僕は懸念を伝えました。
返ってくる答えは
「関わっている専門家で最大リスクを話す人と、
木下君の懸念は同じ感じだよね。
でも、多数決はもっとリスクの低いという人が多くなるから」
といわれました。
「こういうときは、結局多数決しかないかも」とも。

勿論、低いリスクに収まればうれしいと僕は思いますし、
その場合は「木下は妄想癖のある臆病者で屑野郎」と
罵られても致し方ないと覚悟はしています。
むしろ、喜ばしい結末が訪れたのですから。

ただ、リスクというのは起こりうる中で最悪を
想定するべきと僕は感じています。多数決ではありません。
特に、今回は事が起きた時には被害は甚大です。
守らなければならない
国民の生命や安全を守ることが厳しくなるタイプの事象です。
放射能というその捉えにくい本質を考えると、
今、線量が高くないうちに退避を広げる選択肢をとるべきだと
僕は思います。

事がおこってからでは、混乱しさらに間に合わなくなります。
そのリスクも重ねて、伝えられる官邸の知り合いには
話しました。

しかし、政府はアグレッシブに動いている感じがしないです。
最高決定者が決定しない状況とも見えます。
日本のどこの会社でもありがちな光景と同じ感じです。
(政府→会社、国民→社員と読み替えもできますね)
そうすると政府の判断の遅れが
僕ら国民の生死や安全につながるリスクが
増えている感じています。

この状況を放置するわけにはいかないと僕は思いました。
勿論、リスクの想定なので
絶対にこれがおきると断言できませんが
その想定が起きた場合、
今よりもゾーンを広げて退避していなければ
被害がどの程度増えるのかを政府はきちんと認識すべきです。
そのために参考になるのはさっきのアメリカの退避圏の判断です。
僕は最低限、このくらいの退避圏にはすべきと思います。
このブログのタイトルに書いている100キロ圏の退避は
まずこの観点の判断が大きいです。

予防衛生の専門家と話をすると
こどもや妊婦のリスクはさらに高まります。
妊娠できる可能性がある年齢の未婚女性がそれに続きます。
こうした人々は退避圏をさらに拡大すべきと思います。

自国民を殺してしまう政府は、何であれ一番問題だと僕は思います。

長井さんはミャンマー人を殺す政府に立ち向かいました。

 

きちんと判断をせずに、自分達の心が安心し続けるために、
リスクをきちんと見ない人々を僕は許せないですし、
そして政府がきちんと出来ないのなら
事が起きたら、僕は政府が自国民を殺してしまう話になるかもしれないと思います。

 

そんなことにならないように強く願います。
本当に強く、強く願います。

 

 

 

 



ジャーナリストの長井健司さんが亡くなって5年。「カメラが見つからない。」と言い張るミャンマー当局。

2012-09-27 21:17:46 | 署名などの報告(会の活動報告)

 「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」で、中学の同級生で、今治で署名活動を中核的に担っていただいた井出さんから、長井さんが亡くなって、5年目の思いが届きました。実は、民主党政権側の関係者から、現況について、日本政府が認識できてていることは、僕に伝わっています。

 事の真否はともかく、先方の言い方は「とにかくみつからないのです。」という説明が強くなっているそうです。一定程度、探索している状況説明もなされているようです。「市場を調べ、同じ機種のものは国内に何点かあったが、当該のものではなかった」という感じで。軍事政権下におきたことなので、現況の体制下にも齟齬がある模様です。引き続き、働きかけは継続しています。とにかく、あの時点で、緊迫した状況を取材していた彼のカメラとビデオテープはいまだに返却されていないのは、間違いありません。5年が過ぎても、解決は為されていないという事です。

=====================================================

『今年もミャンマーで亡くなったジャーナリスト長井健司さんの命日が巡って来ました。あれから早5年の月日が経ちました。
 彼が手に持っていたカメラとビデオの返却を求める抗議の署名(13万7千人超)は、3年目にして、ようやくミャンマー大使館が受け取ったものの、未だ戻ってきてはおりません。
 私たちのように平和な日本にいて、世界の現状を知ることが出来るのは、危険を冒してまで取材しようとするジャーナリストたちがいるからです。「誰も行かないところへは、誰かが行かなければならない」彼はいつもそう話していたといいます。
 共に通った学舎(中学校)は、少子化により来年3月に閉校することとなりました。同じ時を過ごした友人として、私は返却を求めます。それは、ミャンマーが民主化への道をたしかに歩み始めている証となることでしょう。』  井出範子

=====================================================

 なお、長井さんの慰霊行事については、2009/9/27の三回忌で、「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」では、一度止めました。彼の宗派、真言宗では、次が七回忌になるからです。それまで慰霊行事を行う予定がない事は、当時も会のメンバーでは、共通認識です。その旨、取材に来られた方にも説明しています。そして、2010/9/27に、井出さんの文章にもあるように、集めた十三万七千人の署名をミャンマー大使館が受け取って以降、会として活動は特に致しておりませんし、その旨の説明もしています。なお、慰霊行事は日本側が開催しているもので、こちらから在日本のミャンマー人たちに呼びかけて参加してもらいました。しかし、こちらから呼びかけないと、相手側から、開催を求める働きかけは、全くありません。皆無です。開催協力も、特にもともとありません。

 それについて、カメラマンの富田きよむという人物が、事実関係を何も踏まえずに一方的な中傷をしています。この人物は、長井健司関連の署名活動でまったく知らない人ですし、僕自身も知らない人物です。言っている事の意味が分かりません。僕の中傷を目的として、僕が長井さんの慰霊の行事をおこなっていないことを中傷しているようです。こういう関係ない人間から中傷される謂れはまるでありません。というか、ネットなら何を書いてもよいと考える愚かな人間の存在は頭が痛いものがあります。信じがたいです。

 

 


☆訂正 APF山路徹代表→松本(山路)徹代表

2010-11-09 03:26:39 | 署名などの報告(会の活動報告)
訂正です。

読売の記事で
APFの山路代表が本名は「松本」と判明しました。
表記を改めます。
山路徹代表→松本(山路)徹代表。
本名(通称)という意味です。

十年前から知っていたので
ちょっと、びっくりです。
いつから「松本」なんだろう?



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ミャンマーで総選挙取材、山路徹さん拘束される(読売新聞) - goo ニュース
ミャンマーで総選挙取材、山路徹さん拘束される
2010年11月8日(月)01:45

(読売新聞)
 【バンコク=若山樹一郎】在ヤンゴン日本大使館によると、ミャンマー東部カイン(旧カレン)州ミヤワディで7日、APF通信社(東京都港区)の山路徹(本名・松本徹)代表(49)が、不法入国の疑いで現地警察当局に身柄を拘束された。

 大使館によると、山路さんは7日午前、ミャンマーで20年ぶりに行われた総選挙取材のため、タイ北部国境から入国したところを拘束され、当局に事情を聞かれている。拘束当時、ビデオカメラや携帯電話、APF通信社の記者証を所持していたという。大使館では面会を認めるよう要請している。

 APF通信社は、2007年にヤンゴンで行われた反政府デモを取材中、射殺された映像ジャーナリスト長井健司さん(当時50歳)が契約していた会社。山路さんはヤンゴンで長井さんの遺体を引き取った後、所在不明となっている長井さん使用のビデオカメラの返還をミャンマー軍政に求めていた。

 軍政は総選挙で外国人記者の入国を厳しく制限しており、山路さんは簡易投稿サイト「ツイッター」に「外国メディアや選挙監視団の入国を一切拒否した、言わば軍政の茶番です。入るな!と言われれば、逆にどんな手段を使ってでも入り、取材し伝えるのが私たちの仕事。見ていて下さい、長井さん!」と書き込んでいた。ミヤワディへは、タイ北部国境のメソトから外国人観光客も含めて行き来が可能だったが、7月以降、ミャンマー側が国境を閉鎖していた。

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なお前の記事でコメントしたAPF関連の過去記事へのリンク。

http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/05b634c180ee06757fdb4ef6fba517b9


http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/c1b76b02b17806c902985873616f88b8



一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。

2010-11-07 23:08:16 | 署名などの報告(会の活動報告)
「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」
からのコメントです。

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長井さんが所属していたAPFの山路徹代表が
ミャンマー国内で拘束されていると報じられています。
これが、事実ならば、
山路代表がいかなる理由で拘束されたのかは別として、
ミャンマー政府に対し、
山路代表の安全の確保を強くお願い致します。
さらにミャンマー政府には、
山路氏を日本側に早期に引き渡していただきますよう、
要請致します。

また日本政府、外務省、現地大使館の皆様には
大変な事とは思いますが、
邦人保護の観点からご尽力いただきますよう、
お願い申し上げます。

なお、当会は昨年末から、
APFおよび山路代表とは具体的な関係は何もありません。
山路代表との連絡は何も取っておりませんし、
今回の山路代表の行動も、もちろん全く知りません。

しかしながら、当会としましては、
亡くなった長井健司さんが所属していた
APFの山路代表が
このような状況に陥っていることを鑑み、
人道的見地による判断から、
関係各位の善処を切にお願い申し上げる所存です。

    2010年11月7日    
   「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」

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コメントしたとおり、山路代表について当会は現在何も関係はありませんので、
誤解なきようにお願いいたします。
この件について問い合わせのある方は
メールでお願いします。

一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。
これ以外に僕には言葉はありません。
現実に国内でできる要請はきょうも日本側にはおこなっています。

ミャンマーへの具体的アクションは現時点では想定しておりません。




ミャンマーで邦人拘束 長井さん契約のAPF代表(共同通信) - goo ニュース

当会は長井さんのビデオカメラとテープの返却が目標です。

2010-10-21 23:46:42 | 署名などの報告(会の活動報告)
今一度確認しますが
「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」は
長井さんのビデオカメラとテープを取り戻すことが
目標です。

本質的にこれ以外の目標はありません。
政治的な色の強い活動でもありませんので
取り戻せれば会は自然に散会になるでしょう。

ミャンマーの民主化が
よりよい方向へ進むことを期待しますが
これはミャンマーの人々が決めることであって
当会はそういった渦中に立ち入ることは
ありえません。

特定勢力に加担して
「ミャンマーの民主化」というような
お題目を唱えることはありません。
そうしたことを始めている人々とは
僕は、はっきりとスタンスが異なります。
関わりたくありません。

僕はこの活動を通じて
いろんな人達の
政治的経済的思惑や欲望に直面しました。
しかし、そうした事柄からは、
できる限り自由でいたいと思います。

カメラとビデオテープを取り戻すことだけが
使命です。
それ以外のことは邪道です。

顕著な変化を進めるために

2010-09-29 02:05:00 | 署名などの報告(会の活動報告)

ミャンマーの総選挙も
日本がミャンマー難民を受け入れたことも
ファクターとしては大きいです。

署名を受け取らせる先に
どうしたらいけるのかを考えています。

以下は毎日新聞。


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ミャンマー:長井さん射殺3年 カメラ返るまで元気でいる 母、道子さん心境 /愛媛
毎日新聞 9月28日(火)15時25分配信

 ミャンマーのヤンゴンで映像ジャーナリストで今治市出身の長井健司さん(当時50歳)が取材中に銃撃され死亡してから3年となった27日、長井さんの母、道子さん(78)が会見し、「ミャンマーの軍事政権が遺品のカメラを返すまで元気でいようと、前向きに考えています」と現在の心境を語った。
 3年間を回想し、「最初はけん坊が撃たれて引きずられる場面が頭に浮かんだ。1年を過ぎたあたりから、『後ろは見まい』と決心した」と話した。
 それでも、「軍事政権は許せない」という気持ちは変わらない。「けん坊の魂、倒れても離さなかったカメラを返して、と言いたい」と語気を強めた。
 この日は、午前中に市内の墓地で墓参り。長井さんの妹、小川典子さん(50)と会見に臨んだ。「カメラが返ってくるまで、軍事政権がなくなるまで、元気でいるつもりです」と笑った。
   ◇
 長井さんの持っていたビデオカメラとテープの返還を求めて署名活動をしている「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」(木下黄太代表)は27日、東京のミャンマー大使館に3万7000人分の署名を提出。今回で4回目、計13万7000人分の提出になるが、この日初めて大使館側の職員が署名を受け取ったという。木下代表は「誰も応対しなかったこれまででは、有り得なかった顕著な変化。総選挙を前にした政治判断が働いたのでは」としている。【津島史人】

長井健司さん殺害抗議署名をミャンマー大使館が受け取ったことが報じられています!!

2010-09-27 14:39:08 | 署名などの報告(会の活動報告)
朝日新聞のニュースサイト速報写真つきで記事が出ています。http://www.asahi.com/national/update/0927/OSK201009270031.html

共同通信も同じく記事にしています。


大使館側が三年のときを経てはじめて受け取ったことがニュースバリューがあるということだと思います。
 署名総数は13万7千人を超えています。その皆さんの力がようやく作用してきたと思います。
ありがとうございますのみならず、さらによろしくお願いいたします。

 何もなく、対応もしない今までから、スタートラインでしかなくても、
スタートラインに立てたことは大きいと考えます。
いろんな手段で、いろんなことをせねばならないと思います。




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長井さんの遺品返還を ミャンマー大使館に署名3万人分(朝日新聞) - goo ニュース

長井さんの遺品返還を ミャンマー大使館に署名3万人分2010年9月27日12時14分

 ミャンマー(ビルマ)で軍事政権への抗議デモを取材していたジャーナリスト長井健司さん(当時50)=愛媛県今治市出身=が、治安部隊に射殺されてから27日で丸3年。長井さんが最期まで握っていたビデオカメラなどの遺品は今も戻ってきていない。返還を求める同級生らはこの日、ミャンマー大使館(東京都品川区)に3万7千人分の署名を届けた。
 長井さんの中学時代の同級生で、工具会社役員の井出範子さん(53)=今治市=ら9人。2008年までに3回にわたって計約10万人分をミャンマー大使館に提出したが、受け取りを拒否された。日本の外務省へも返還に向けた協力を求めたが、進展はないという。
 井出さんらは27日午前10時すぎに同大使館を訪問。今回は大使館職員が初めて署名を受け取った。井出さんは「13万人を超える署名の思いが、届きつつあるのかも」。一方で事件から3年がたち、マスコミが取り上げることも少なくなった。井出さんとともに署名を集めた薬剤師の林雅子さん(53)は「もどかしい。どうしたらいいんでしょうか」と話している。(寺門充)
============================================================================================================== 13万人超す署名を提出 長井さん射殺から3年    ミャンマーで反政府デモを取材中に映像ジャーナリスト長井健司さん=当時(50)=が射殺されて27日で3年。友人らでつくる「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」は遺品のビデオカメラとテープの返却を求め、在日ミャンマー大使館に約3万7千人の署名を提出した。  署名提出は4回目。3年間で全国から集まった署名は約13万7千人分に上った。今回は初めて、大使館職員が玄関に現れ、署名を直接受け取った。  同会代表でジャーナリスト木下黄太さん(43)は、対応した職員に「彼が亡くなった時の気持ちが入っているビデオカメラとテープを返してほしい」と訴えた。  長井さんの出身地、愛媛県今治市からの署名が半数以上だった。小学校と高校の同級生という塾講師堀内陽子さん(53)=埼玉県越谷市=は同大使館前で「彼は本当にいい人、昔から全然変わっていなかった。両親のもとに遺品を返してほしい」と話した。 2010/09/27 12:06 【共同通信】

重要な変化!!!ミャンマーが長井健司さん殺害抗議署名をはじめて受けとる

2010-09-27 13:50:38 | 署名などの報告(会の活動報告)
今回、ミャンマー大使館で
極めて大きな変化がありました。
十人で大使館に署名を届けていったところ、
守衛が大使館員を中から呼び寄せ
はじめて署名用紙の入った箱を受け取りました。

過去三回、
全く対応しなかったミャンマー大使館が
今回初めて
男の大使館員が直接対応し
「上からの支持で受け取ります。
今回はとりあえず受け取るだけです。」と
はっきりと話しました。

僕らからは
「長井さんの遺品である、
ビデオカメラとテープだけは
長井さんの生きた証し。
仏教徒なら分かるはずだ。
とにかくそれを返却してほしい。」と言うと、
「とにかく次のことはまた連絡が来ればその時に。
きょうは受け取るだけ。」と述べました。
そしてとにかく、署名用紙が入った箱を受け取っていきました。
後ろに立っていた大使館側の女性スタッフが
ぼくらの言葉を受けて
すこし感情が詰まったような雰囲気となりました。
彼女はきちんと署名を運んでいきました。

11月の総選挙を控え
ミャンマー側に何らかの変化がある可能性があると思います。
もちろんどうなるのかは
余談が許しませんが
長井さんのカメラとビデオテープを取り戻すには
相手方から出てきたはじめの一歩であることは
まちがいありません。

3万7千人の署名を提出 長井さん射殺で遺品返却求め(共同通信) - goo ニュース

本日提出する長井健司殺害に抗議する署名は三万七千人は超えています

2010-09-27 01:53:02 | 署名などの報告(会の活動報告)
長井さん署名は
すでに十万人ミャンマー大使館に三回に分けて提出されています。
今回、3万7千人分の署名は少なくともあるようです。
(今も最終集計作業をしています。)
この三年間で、
ほぼ十四万人近くの皆さんが署名していただいた事は
本当にありがたいです。

この意思を少しでも活かして
なんとかカメラとテープを取り戻したいです。

朝になったら北品川へ向かいます。

9/27 長井健司さん殺害に抗議する署名と怒りの意思をミャンマー大使館へぶつけよう

2010-09-26 05:37:27 | 署名などの報告(会の活動報告)
大使館へ向かうのは午前10時になります。
ボランティアなど
合計で十一人になります。
ブログ読者で
もしご一緒に行きたい方がいれば是非。

現地大使館周辺での終了時間は遅ければ午前11時メド。

その後、時間のある方は
近隣で昼食会にしたいと思います。
遅くとも午後二時までには完全に終了いたします。

よろしくおねがいします。

追伸
きのう開催したコミットメントパーティー「日本復活」は
七十人程度の参加で盛会に終わりました。

また後日報告しますね。




(会の活動報告) 9/27 午前10時メドで残りの署名をミャンマー大使館に届けます。

2010-09-25 11:27:00 | 署名などの報告(会の活動報告)
皆様に「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」
として久しぶりにご報告があります。

①会として集めた長井健司殺害についての抗議署名の
残りを全てを9/27の午前10時ごろ
ミャンマー大使館に抗議の意思とともに届けます。

②すでに十万人分は提出しておりますので
残りは三万人+アルファとなります。
現在最終集計しています。

③会は長井さんのビデオカメラとテープの返却がなされるまで
存続する予定ですが、
署名活動はこれをもちまして終了いたします。

署名していただいた皆様、本当にありがとうございました。

まだ何も成果が得られていない現況ですが
引き続き努力を重ねたいと思います。

なお、今回もミャンマーサイドの対応に変化はない感じです。

くだらない書き込みをする人々へ

2010-09-23 05:28:39 | 署名などの報告(会の活動報告)
前からそうなのですが
このブログの当初の趣旨や
署名活動も知らずに
幼稚な書き込みをする人々がいます。

長井さんについて
13万人以上署名を集め
全国に数十人のメンバーがいるのがこの団体です。
ふざけるなとしかいえません。

恐らく特に酷いのは
苫米地英人氏に関することを
勝手に書いてくる、過剰な書き込みです。
そして当会は、現在、
苫米地氏と関係がありません。
くだらない書き込みは迷惑なだけです。

苫米地氏のことはご本人やご本人の会社にお問い合わせ下さい。

また、いろんなことで何か僕におっしゃりたいなら
少なくとも氏名と電話番号を明示して
メールしてください。
僕は必ず電話してお話します。
コンタクトを取りたいなら
メールしてください。

意味のない、くだらない書き込みはおやめ下さい。

また、
今後、くだらない書き込みはすべて削除します。

トークライブパーティーなど

2010-08-28 03:36:39 | 署名などの報告(会の活動報告)
長井さんが亡くなってから来月27日で三年になります。
おととしと去年は真言宗のお寺で
一周忌と三回忌を開催しました。
真言宗的には次は七回忌となるため、
それまでの間は宗教的な行事の予定はありません。

ただ、他に何かできないかとは考えていて
9/27の前の土日。つまり25日ないしは26日の夜に
簡単なイベントを開催できないかと
考えています。
トークライブを含んだパーティーイベントを想定しています。
ただし、長井さんのことが中心ではなく、
長井さんにちなんで
日本や国際情勢をみつめる中身のトークライブを含んだ
パーティーにしようかなと思っています。
「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」が
主催するイベントというスタイルにはならないと思います。
詳細が決まれば、また皆様に連絡します。

また、27日にミャンマー側への
何らかのアクションをするべきかどうかについては、
現在、検討中です。
もちろんミャンマー情勢は全く好転していません。
こちらが何か出来ることがあるのか検討しています。

当会も一年前と状況は大きく異なりました。
かかわりのあったもろもろのうちで、一部ですが、
社会的な問題となったり、
問題になる可能性がでてきている中で、
金銭面でも体制面でも
当会は最低線を維持するのが
ぎりぎりの状態となっています。

2007年の9月には思いもよらなかったことが、
今様々な形で起きていることを
僕個人はとても悲しく哀れに感じております。

ただ、長井健司のビデオカメラとテープ取り戻したいという
希望だけは、あきらめていません。
このことだけは確認しておきます。゜