「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

日本と世界のリアル状況確認と僕の思索を書き留めるブログ。
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長井さん関連と思われるイベントについてのお知らせ

2009-09-30 01:32:05 | その他
下記のイベントが開催されます。
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①『ビルマVJ』
2009年サンダンス映画祭 世界映画ドキュメンタリー制作賞受賞作品
日本初公開  デンマーク/2008/84分/ドキュメンタリー
監督:アンダース・オステルガルド
原案・脚本・助監督:ヤン・クログスガード
音声:ビルマ語、英語 字幕:日本語、英語

(c) 2008 Magic Hour Films

助監督のヤン・クログスガード氏来日予定
2007年ビルマ(ミャンマー)で起きた反政府デモの映像を身の危険を顧みず、潜伏しながら世界へと発信し続けるビデオ・ジャーナリストたちの姿を追ったドキュメンタリー。彼らが配信した、ジャーナリスト長井健司氏の銃弾に倒れるシーンは今でも私たちの脳裏に焼きついている。

10月1日から始まる第4回UNHCR難民映画祭・東京に出品される
『ビルマVJ』。
 「難民映画祭」は、国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所と国連UNHCR協会が開催している映画祭だそうです。

上映日時+トークイベントは:
10月3日(土)18:30- @イタリア文化会館
10月6日(火)17:00- @ドイツ文化センター
だそうです。事前チケットはないみたいです。
料金などは各自ご確認下さい。

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②本日、シンポジウムもあるようです。
http://www.waseda.jp/alumni/125/Symposium090930/index.html


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①②とも僕は
開催についての情報を知っただけで
特に何の関係もありませんので
内容の問い合わせはご遠慮下さい。

①の映画は、都合がつけば
見に行きたいとは思っています。

今後の当会の活動とこのブログの運用について

2009-09-29 01:25:31 | 「長井さん殺害に抗議する会」連絡先と用紙
今後の会の活動について

署名は引き続き集めていますが
インターネットサイトでのオンライン署名か
署名ずみの用紙を事務局まで郵送するようにしてください。

署名用紙を提出するのは
最も有効な時期と
こちらが判断したときのみ
おこないます。

また、会の事務局は下記の通りですが
常駐スタッフはまったくおりません。
実際は郵便物の対応窓口と
思ってください。

会への緊急の連絡先は
nagaikenji20070927@yahoo.co.jpのみです。

早ければ数時間、遅くても数日内には
リターンします。

今後のブログの運用について


このブログは長らく会の公式ブログとして
「長井健司」のことを中心に
いろいろなことを書いていました。
記録用にブログの概要です。

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ブログタイトル
「ミャンマー軍による長井健司さん殺害に抗議する」

ブログの概要
「ミャンマー軍による映像ジャーナリスト
長井健司さん殺害に抗議の署名をお願いします。
彼のビデオカメラを取り戻すためにも。」

プロフィール
長井さんの写真を使っていました。
ウイキペディアのものと同じです。

「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」

性別
男性
都道府県
東京都
自己紹介
「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」の公式ブログ。
長井さんの友人で会の代表の僕が書いてます。
連絡先はnagaikenji20070927@ yahoo.co.jp
===============================

しかしながら
この一年間、なかなか長井さんのことを
具体的に書く内容が実は乏しかったこと。

今後、会の活動がカメラを取り戻すための
きわめて具体的な中身に
変化する可能性もあるため
その内容を書き込むわけにはいかないこと。

街頭署名などのスケジュールの連絡を
頻繁にする必要がないこと。
(毎月毎週のような恒常的な街頭署名は当面おこないません)

こうしたいくつかの点から、
きょうのこの記事以降、
このブログは
「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」の
公式ブログとしての役割を
終えたいと思います。

また最近めちゃくちゃなの書込みの連発への対応から
やむなくコメントを承認制にしたのですが
本来運動体が活発な場合、
こうしたブログは常に開かれた場でなくては
なりませんが
アクシデント的な事態への対応が理由とはいえ、
承認制へ転換したことそのものが
運動体のブログとしての機能を
実は失いつつあるという判断を
僕がしたのも理由の一つです。

完全にブログを閉鎖しても良かったのですが
一定程度僕の情報発信を知りたい方もいるようなので
僕個人のブログとして継続します。
会のブログから
会の代表でもある、僕個人のブログに
性格が変わったとご理解下さい。

タイトル、概要、写真、プロフィールも
直します。
レイアウトも変えます。
過去の記事、書込みはそのまま残します。

また、会の情報で、
皆さんに広報する必要が出た場合のみ
会からのお知らせと明記して
このブログでもお伝えします。

よろしくおねがいします。
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「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」

〒1060032
東京都港区六本木7-3-4
クリヤマビル2F 
メールアドレス nagaikenji20070927@yahoo.co.jp


オンライン署名フォーム(クリック→)https://hal.sakura.ne.jp/syomeis/sign

携帯電話はこちら(クリック→) http://hal.sakura.ne.jp/sign.html

署名フォームはhttps使用のため、セキュリティアラームがでますが
安全上の問題は何もありませんので、先に進んで署名してください。
また署名用紙のPDFファイルは
http://hal.sakura.ne.jp/shomei.pdf


なお当会には電話、FAXはありません。常駐スタッフおりません。

何かご連絡のある方は(メディアなども)
できるかぎりまずメールでご連絡をお願いいたします。
数時間から数日の幅でレスポンスします。
緊急性が高い場合は、深夜対応可能な電話番号を書いてください。
メールに気づけば、すぐに電話いたします。
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「2009長井健司さんを偲ぶ会」はつつがなく執り行われました

2009-09-28 00:56:20 | 署名などの報告(会の活動報告)
参加者は、日本人とビルマ人で
30人ほどでしたが
大変良い会だったと思います。
NHKのニュースで流れましたし
共同通信でも配信されているようです。
他にも朝日新聞で関連記事が
出ていますので、引用しておきます。
愛媛新聞朝刊にも出るようです。
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NHK
9月27日 14時55分
ジャーナリストの長井健司さんがミャンマーで取材中に銃撃を受けて死亡してから27日で2年になり、東京で長井さんをしのぶ会が開かれ、知人らが、銃撃された際に長井さんが撮影していたビデオテープをミャンマー政府が返却するよう訴えました。

ジャーナリストの長井健司さん(当時50歳)は、おととしの9月27日、ミャンマーで反政府デモを取材中に治安当局の銃撃を受けて死亡しました。この際、撮影していたビデオカメラとテープは返却されていません。27日は東京・新宿区の寺で長井さんをしのぶ会が開かれ、知人や同級生など20人余りが参列しました。会では、長井さんと親交のあったジャーナリストの木下黄太さんが「きょうで2年になるが、真相の解明は進んでいない。テープの返却を求める署名がこれまでに13万人分集まっており、今後もテープを取り戻す活動を続けたい」と呼びかけました。ミャンマーの民主化を求める活動をしているマウン・ミンニョウさんは「日本は政権が代わったので、新しい政権は、ぜひ真相の解明に力を入れてほしい」と話していました。また中学校の同級生の井出範子さんは「長井さんが命をかけて撮影を続けたテープは、絶対に返してほしい。長井さんが最期に撮ったものをみんなで見たい」と話していました。
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長井さん射殺から2年 知人やミャンマー人らが追悼
 映像ジャーナリスト長井健司さん=当時(50)=がミャンマーで反政府デモの取材中に射殺されてから2年となった27日、長井さんをしのぶ集会が東京都新宿区の真成院本堂で催された。

 ビデオカメラなど遺品の返却を同国政府に求めている「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」が主催。同会代表のジャーナリスト木下黄太さん(42)が、集まった知人ら約30人を前に「ミャンマー情勢や事件の解明に進展がなく、このままで活動をやめるわけにはいかない」とあいさつした。

 市民団体事務局長の在日ミャンマー人マウン・ミンニョウさんも「長井さんの勇気ある行動に感謝している」と話した。

 午後には、渋谷区の国連大学の前に在日ミャンマー人ら百数十人が集合。「英雄」「感謝」などと書いた長井さんの遺影を掲げ、日本政府や国連にミャンマー民主化への支援を訴えた。

2009/09/27 17:52 【共同通信】
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【朝日新聞】

長井健司さん凶弾に倒れてきょう丸2年
2009年09月27日


 ●祈る両親 恩師ら悔しさ憤りなお

 今治市出身のジャーナリスト長井健司さん(当時50)がミャンマー(ビルマ)で反政府デモを取材中に射殺された事件から27日で丸2年。凶弾に倒れた長井さんが最期まで手放さなかったビデオカメラとテープは、いまだにミャンマーの軍事政権から返還されていない。恩師や同級生らは悔しさと憤りを語り、長井さんの両親は三回忌を迎えた心境を便箋(びんせん)につづった。(寺門充)

 長井さんの父秀夫さん(84)と母道子さん(77)は、便箋1枚に連名で所感をつづり、公表した。

 「三回忌がきました。つらい思いをした日をふり返るまいと前を向いて日々を暮してきましたが、やはり九月二十七日を前にするとあの日のことが思い出され、何とも云(い)えないものがあります。しかし元気を出して生きてゆきます。家族だけで静かに三回忌を迎え、祈ります」

 長井さんが卒業した今治市立美須賀中学校で、長井さんの担任だった元社会科教諭、山本満洲男さん(76)=同市=は命日の27日、市内にある長井さんの墓参りをするつもりだ。
 山本さんは「ミャンマー政府からはカメラなどの遺品が返されていないばかりか、謝罪すらなされていない。教え子の命が奪われたのに、事件の処理が中途半端で終わっていることが残念でならない」と憤る。その上で政権交代した日本政府の今後の対応に注目している。「ミャンマーの軍事政権に毅然(きぜん)とした態度で接してほしい。日本の外交姿勢が変わることに期待をつないでいる」と話した。

 長井さんの友人らでつくる「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」(東京)が、カメラとテープの返還をミャンマー政府に求めるため、全国で集めた署名は目標の10万人を超え、約13万人に上った。長井さんの中学時代の同級生、井出範子さん(52)=同市=は、東京都内で27日に開かれる長井さんをしのぶ会に出席するため上京した。「署名は10万人を達成したのに、状況は何も変わっていない。事件に対する国内での関心が薄れてきていることが心配。今は遺品が返ってくることを祈るばかりです」

 ミャンマーの軍事政権は07年9月、僧侶や市民らによる反政府デモを武力で弾圧。取材中の長井さんをはじめ、多数の死傷者が出た。そして今もなお、軍政は反政府の動きを警戒し、活動家の僧侶らを拘束している。
 松山市石手2丁目の四国霊場51番札所石手寺(加藤俊生住職)では27日午後4時から同寺大講堂で、長井さんとミャンマーの僧侶を追悼する行事を開き、暴力のない世界平和を祈願する。

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愛媛新聞

愛媛のニュース2009年09月28日(月)
長井さん射殺事件2年 東京・松山追悼行事
 今治市出身の映像ジャーナリスト長井健司さん=当時(50)=がミャンマー反政府デモを取材中に射殺された事件から丸2年の27日、都内と松山市の寺院で三回忌の追悼行事があった。
 ジャーナリストらでつくる「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」は東京都新宿区の真成院で「しのぶ会」を開催。知人ら約30人が遺品のビデオテープとカメラの返還実現を誓った。
 焼香後、「抗議する会」の木下黄太代表(42)が活動報告。遺品返還を求める署名が「1年で1万人増え、13万人に達した」と説明した。署名呼び掛け人の一人で宗教学者の島田裕巳さん(55)は「原爆について彼が作ったドキュメンタリーを見た。平和を求めた彼にはやったことと、やろうして果たせなかったことがある」と無念の死をあらためて惜しんだ。
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長井さんを偲ぶ会を取材されたいメディア関係者の皆様へ

2009-09-25 15:09:14 | 署名などの報告(会の活動報告)
日程などはこのページに載っているとおりです。
細かい日程は特にありません。
参加者数はこちらでは細かく補足しておりません。
カメラ取材などは基本的にフリーです。
各社が受付で名刺をお出しいただければ
事前の連絡も不要です。
細かい問合せが事前に必要な皆様は、土曜の夜中までに
メールいただければ
こちらから夜中でも電話いたします。
必ず深夜でもご連絡が出来る
電話番号とお名前を明記してください。

連絡先はnagaikenji20070927@ yahoo.co.jp です。


長井健司を「日本」はなぜ評価しないのか

2009-09-16 07:30:50 | 署名などの報告(会の活動報告)
阿修羅というのは、
興福寺のあの尊像を
思い出していただきたいのですが
まさに八面六臂ともいうべきなほど
徹底的に戦うものの象徴でもあります。
(像は三面六臂です)
気の遠くなるほどの長い年月を
戦い続けるその姿は、
気高くもありますが、悲壮でもあります。
阿修羅は諸説あるのですが、
一説には正義の神と言われていて、
帝釈天との途方もなく長い戦いというのは
実は阿修羅の側こそ正義であるのですが
敵を許せない、正義にこだわることが
わが身を滅ぼしてしまい、
しかし戦いにも勝つことはできず、
その上、
敗れても敗れても何度も何度も復活するという
話だとも聞きます。
とすれば
僕にとってもこの活動にとっても
まさに「阿修羅のごとく」は
良くも悪くも
「言いえて妙」であるとも言えます。

僕にとって、なぜこの活動を続けるのかというと
僕が長井さんの友人であったことや
ご遺族の思いを考えてということは
もちろん背景にはありますが
それは主たる話では全くありません。

僕は自分の正義感やジャーナリストとしての
感覚の中で
長井健司がおこなった取材活動は、
なんら責められるレベルの行為はなく、
取材対象としての
あのヤンゴンでの出来事は
日本においても十分に報道に値する
レベルの大きな出来事であったことは
間違いないこと。
彼が命を落としたことは、
ミャンマー軍による恣意的な行為である可能性が
きわめて強く、
その現場を外国メディアに撮影させたくない
軍政の現場レベルの感覚が影響していること。
国際的に見ても、
取材者へのこうした虐殺行為は
許されるべきものではないこと。
しかもカメラとテープを奪ったまま、
返還しないこと。

こうした当たり前のことを捉えて
長井健司をどう評価するのかが
「日本」には決定的に欠落しています。
今回の不当判決はもちろんですし、
そもそも意味のないあやをつけてきた週刊文春の
感覚そのものも同じです。
さらに言うと
これは「日本」全体にもいえる話だと思います。
少なくとも日本政府そのもの、
特に官僚機構の中核は
長井さんのことを
表面上はともかく、根幹では
「迷惑なことをして、後の影響をどうするんだ」という
本音があります。
ある政府の事務方の幹部の一人は
「あんな取材して死なれて、
日本とミャンマーの外交にとって迷惑」と
露骨に不快感を示したと聞いています。
山口という元ミャンマー大使が
公に長井さん批判をしたのもその文脈でしょう。
そうした感覚が背骨なき週刊誌メディアには
追い風のごとくなりますし、
本質的な意味がない記事で
長井さんを中傷する状況は生じやすいのです。

今回の判決はそうした流れの中では
むしろ「日本」の空気を反映したものとも
言えます。
当たり前の正義よりも
「長いものには巻かれろ」です。
判決が政権が移行する前に出されたことも
旧来の「日本」の感覚である感じがします。

こうした感覚の方がより、
「日本」に利益をもたらすのであれば
僕がいかに正義にたって話をしようとも
意味がないのかもしれません。
ただ、ハッキリしていることは
この「日本」の感覚によって
対ミャンマーとの関係性で
日本は経済上も外交上も特段の優位どころか
意味あるプレゼンスは
現在ほとんど持ちえていないということです。
ただ経済援助を流し込んで
ノーリターンに近い状況だということです。

とすれば、本来なら
長井さんについて貶めることは
国益という観点からも
意味がないことです。
それでも、
「日本」にとって、本音は「迷惑」なのです。

長井さんは
パフォーマンスをしていた訳ではありません。
週刊文春よりも最前線で身体をはり、
そこで無残に殺されたのです。
最前線に立てない人間は
結局最前線に立つ人間を誹謗するしかないのかもしれません。
そして、裁判官とは
最も安全地帯から
評価する生業をおこなう人々です。
その感覚とほど遠いことこそ
容易に想像がつきます。

僕らの署名活動は組織背景なく、
13万人近い署名を集めました。
僕らにとっては大変な努力と犠牲の上に
この13万人を獲得してきました。
しかし、それでも
日本の人口の1パーセントにさえなりません。
大半の「日本」は
長井さんには関心もなく、ほぼ何の評価もせず、
さらにはうとましく思っている人も
少なからずいるという現実なのです。

これは圧倒的な現実です。

おそらく「日本」の中核である
政府ではもっとその率は高まります。
週刊誌以外のメディア関係者も例外ではありません。
少なくとも長井さんにまつわる事案での
新聞協会、フジテレビ報道局の対応。
さらにはアメリカの財団の手先として
長井さんを利用しようとする
共同通信記者の事案など。
長井さん本人を評価するよりも
長井さんを利用するだけの感覚。
本来味方であるはずのマスメディアが
利用することしかない状況。

そんな「日本」に比べて
ミャンマーの人々や
外国のジャーナリストが
普通に長井さんを評価するギャップ。

この「日本」との果てしなき戦いが僕の目の前には
広がっています。
本当にそれは阿修羅のごとくです。

しかし、阿修羅が正義を背負いながらも
ひたすら敗れ続ける宿命であり、
それでも何度も復活して戦い続ける存在だとしたら
まさに今の僕と重なる気がしています。

正義に拘るが故の敗北の連鎖という輪廻から
抜け出すループはありえるのか。

そして
きょうはじめて本格的な政権移行する「日本」。

考え込む日々が続きます。

不当判決を許さない!

2009-09-15 18:10:31 | 署名などの報告(会の活動報告)
長井さんに対して中傷記事を書いた週刊文春を
ご遺族が訴えた裁判で、大変不当な判決が出ました。
詳しくは後で書きますが、
日本の司法において、
常に安全地帯にいる裁判官が
最前線の人間を
こういう不当な評価をすることに
怒りを禁じえません。

あまりにも
敵ばかりの不利な状況を
どう突破すべきか分かりませんが
阿修羅のごとく戦い続けるしかありません。


2009.09.13都内街頭署名報告

2009-09-14 07:20:18 | 署名などの報告(会の活動報告)
今回、署名活動に
長井さんの母校の東京経済大学の
学生さんが二人参加してくれました。
下記の報告はその学生さんのものですが、
あの事件当時は、高校生だったそうです。


日時:2009年9月13日、13:30~15:30

場所:巣鴨地蔵通り商店街入口マクドナルド巣鴨店前

署名人数:304人


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●署名活動の感想


本日はお祭りということで人通りが多く、
おかげさまで300名を超える方からの署名をいただくことができました。

署名をして下さった皆様、ありがとうございます。


署名活動への参加は今回が初めてで多少の緊張もありましたが、
最初の数名の方から署名をいただくと
だいぶ緊張もとれました。

「署名したいけども、
色々危ない世の中だから名前を書くってのは、
ちょっと怖いなぁ・・・。ごめんね」

顔には“署名したい”と書いてあっても、そう言わなければならない世の中は寂しいものです。



長井さんが亡くなった2007年9月27日。
当時、高校2年生の僕は
テレビや新聞などの報道からこの事件を知りました。


そして、今年の春から長井さんが卒業した東京経済大学に通っています。

長井さんの母校であることも、
この大学に受験し、入学する1つのきっかけになっているのですが、
まさか署名活動に参加するとは予想もしてなかったです。


そんな経緯があり、
恐らくミャンマー軍による『長井健司さん殺害』が
僕の記憶から消えることはまず無いと思いますが、
署名活動をしている中で通行人の方や署名をして下さった方の反応を見ていると、多くの人々の記憶から薄れ、
消えていきつつあるなと感じました。

人間である以上、忘れてしまうのは仕方のないことかもしれませんね。

ただ、中には
20年くらい前の事件だと思ってる方もおられて、びっくりです・・・。
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記憶というのは難しいもので
思い続けることはなかなかできないと僕も思います。
そして、思い続けることが
いつも正しいとも思いません。
まさに時の流れだと。

ただ、長井さんの事件が
最低限の解決さえもみていないことが
歯がゆく思います。
ステップを進めることができるきっかけを
この活動の果実としてえることができないかを
痛切に感じています。

長井健司を金儲けの道具にする「集英社」と明石昇二郎氏④

2009-09-11 04:02:21 | その他
先日の記事の中で追伸で
僕はこのように紹介しました。

「都内の有名大手書店本店で
今回の長井関連書籍の入荷は約200冊強。
火曜日までに売れたのは2冊です。」

これを次のように訂正します。

「都内に本店がある、
有名大手書店の全国本支店全体で
今回の長井関連書籍の入荷は約200冊強。
火曜日までに売れたのは
この大手書店系列全国で2冊です。」


本は初速が大切です。
今の書店は棚の回転が速く、
最初の一週間、二週間がとても大切です。
この期間に本が出ていることを
どこまで読者層に認知してもらえるのかが
勝負になります。
もちろん、会で本を出す場合は
新聞、テレビ、雑誌、ネットなどの
メディアでの
会や会の関係者のネットワークを
総動員して
パブリシティを行うつもりでした。
僕自身も過去に
本の編集を余技で何回か行ったことがあり、
あるエッセイ本は18万部売り上げとなり、
スマスマのレシピ本についで
2位につけたことがあります。
(エッセイ本の著者はタレントではありません)
ロングテールになっている本もあります。
本業でなくでも
そのくらいのメディアプロデュースは
僕個人のネットワークでも
達成できなくもないものです。
もちろん会の中には
僕以上に影響力のある著名人も多いです。

例えば、島田裕巳さんも出版業界には
大きな影響力があり、
また有力な知識人のネットワークの
中核にいます。

出版を予定していたサイゾーは
おそらく国内で
雑誌とネットメディアが
はじめて本格的に連動して成功している
稀有のケースでしょうし、
元々、日本のネットカルチャーのさきがけとなった
「ワイアード」の後継誌でもあります。

僕も含めてこうした人々が
このままのレベルの原稿では
亡くなった長井さんに申し訳が立たないと
強く強く書き直すように言ったにも
関わらず
明石氏はきちんとした仕事をおこないませんでした。

その結果が先ほどの
Amazon.co.jp ランキングで
日本の全書籍で 129,745位です。
(2009.09.10の21時頃現在)

売れるものばかりが良いとはもちろんいいません。
しかしここまで、売れないものには
大概売れないだけの理由があります。

これは無かったことと思ったほうがいいなというレベル。
話にもなりません。

元々は
全く違うことを考えてきて
長井さんの書籍に
マンパワーも、時間も、お金を掛けていたので
本当にくやしくてくやしくてならないのですが
ここまで明石氏の「成果」がお粗末だと
怒る気力もうせるというか、あきれ果ててしまう感じです。

ちなみに発売日から一週間が経過して
都内に本店がある、
最有名大手書店の全国本支店全体で
売れたのは総合計で3冊にはなったそうです。

この大手チェーンの売れ行きを
ベストセラーランキングにのせる新聞も
多いです。

私は、本当にむなしいです。



長井健司を金儲けの道具にする「集英社」と明石昇二郎氏③

2009-09-10 03:28:41 | その他
先日の記事中http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/331db070db39f29bfa4aa120f390776e
の下記の部分を訂正いたします。
まず先日僕はこう書きました。
この部分を訂正します。

=========================
「明石氏の主張では
長井さんと行動を共にしていた研究者より
聞いた話だということでしたが、
僕自身はその方のバイアスがかなりかかって
こういうエピソードになっている感じが強くしましたし」
==========================

この研究者の方ときのう話したのですが
①長井さんの発言内容の文言は
明石氏にできるだけ正確に伝えた。
②自分の意見を反映したエピソードではない。
ということでした。

その上で僕の書いた
「その方のバイアスがかなりかかってこういう
エピソードになっている感じが強くしましたし」という部分が
誤解されるということです。

確かにそこの部分はこちらの誤認の可能性が高いと
思いましたので、訂正したいと思います。


一般的に二人での会話というのは
もう一人が亡くなっていると
なかなか事実を見極めるのは難しいですが、
僕の違和感は、通常の長井さんの言動と
このときの発言にズレが多いので
この事実関係に疑問が生じていました。
しかしながら
彼女が続けてこのような話をしてくれたから
疑問が氷解していきました。
「長井さんはあの時、取材でのビザが取れなくて、
本当に突然おこり続けていて、ああいう発言も出て
私も、現地人もびっくりしていました。」
つまり、長井さんは自分の取材のためのビザ取得を
とめられて怒っていただけというのです。
こういう感じならよくわかります。
思想的な背景というより、
むしろ別に自分の取材についての妨げでの怒りなのです。

「あれは、ビザが取れないから怒っていただけですよ。
まず間違いないですよ。あのときの感じは」

つまり、ビザが取れないことから
長井さんが怒りに任せて言った放言に
近いレベルのエピソードという感じの
話になります。
これなら僕らにも普段の長井さんの感覚で
理解できてきますし、つまりはこのときの発言自体、
本質的な背景がある中身ではないとみなされる感じなのです。
彼女が正確にこの状況を伝えているのであれば、
このエピソードに力点を持たせて書くという
判断をしていった
明石氏の力量の問題に過ぎないということが
ハッキリしてきました。

恐らく長井さん本人にとっても
重きのないエピソードなのですが
同行者にとっては、普段温和な長井さんが
いきなり怒り出したので記憶に残りやすい
エピソードであったということだろうと思います。

こうなると全体の流れの中で
ここに比重を置く明石氏の感覚は僕には理解不能です。
彼がこだわったからこのエピソードが
比重があるわけで
僕は、研究者のバイアスではなく
むしろ、明石氏自身のバイアスと書くべきでした。

という訳で先日のエントリーの中にある
この研究者の方のバイアスにまつわる記述は
訂正いたします。

彼女は最後にこういわれました。
「私は電話だけで明石氏は良く知らないですが
会の署名活動や長井さんのためにと思い、
会の依頼もあって、取材をお受けしたのに、
よく分からない形で出版になり
こういう結果になっているのは残念です」と。

確かにおっしやる通りです。

そして、僕が明石氏に依頼をしていなければ
このようなみっともない事態にならなかったことは
間違いありません。

すいません。

その点は僕の不徳の致すところとしか言いようがありません。

本当に皆様、申し訳ありません。

追伸

都内の有名大手書店本店で
今回の長井関連書籍の入荷は約200冊強。
火曜日までに売れたのは2冊です。

本日午前三時現在の
Amazon.co.jp ランキング: 本 - 105,236位


こんなひどい中身であることや
こんなレベルの売れ行きになることを
僕は元々計画していませんでした。

長井さんにも、
長井さんの署名をしてくれた皆様、
応援してくれた方々や
ボランティアの皆様、
本当に申し訳ありません。

重ね重ねお詫びいたします。

(この項、不定期に続く)

カルトはカルトと結合し、人は晩節を汚す

2009-09-06 12:03:28 | その他
きのう関係なく、クラッシックのコンサートチケットの
検索をネットでしていたら、
あるカルトの幹部で著名な芸能人の
クラッシックとのジョイントコンサートの記事をみつけました。
値段が高すぎるチケットと主催団体の奇妙な名前が気になり、
検索を続けました。
するとその団体の関連組織が
日本語に関しての啓蒙活動を続けていることが判明し、
その啓蒙活動を進めている組織のページを確認すると
数冊の本が推薦されていました。
一見、勉強方法の本に見えるその数冊の本は、
なぜか同じ外国人が著者でした。
この外国人はSF作家として名前が有名ですし
先ほどの芸能人関連カルトではありませんが、
もっと著名なカルトの創始者として有名な人物です。

つまり
SF作家が作った外国生まれの有名カルトと
その芸能人がいることで有名な日本のカルトが
コンサートというスタイルでジョイントしているということです。


実はこうしたカルト同士の連携は
進んでいると聞きます。

この前に僕が書いた
ミャンマーと北の親密さも似たようなものかもしれません。

さらに調べていくと
SF作家創始のカルトが
近年、東京で、従来とは異なるアプローチを行っていて
メディア露出を強めていたり
著名人や有力者を巻き込んでいる状況が判明しました。
政界の代議士たちに変わったアプローチをして
世間にも名前が知られたメディアプロデューサーや
旧ソ連の有名指揮者の貴重な日本公演録音をしていたことで
クラッシック業界でも知られ、超有名進学校の有力職員でもあった人が
関わっていることもわかりました。
この人々、二人とも最近亡くなっているのですが
少なくとも亡くなる数年前から
このカルトに取り込まれていることがわかります。

晩節というものの在り方を考えさせられる思いがします。

9/27の長井さんを偲ぶ会の参加者の確認について

2009-09-03 00:12:12 | 署名などの報告(会の活動報告)
参加者の概数が知りたいので
会のボランティアスタッフ以外で
参加される可能性のある方は、
是非、会のアドレスまで
メールしてください。

nagaikenji20070927@yahoo.co.jp


「2009長井健司さんを偲ぶ会」は

日時:9/27 午前9時半開場 午前10時開始 
場所:四谷の真成院



住所
〒160-0011 東京都新宿区若葉2-7-8
電話 03-3351-7281
四谷駅より徒歩7分

http://www.shinjoin.jp/inq.html#map


長井健司を金儲けの道具にする「集英社」と明石昇二郎氏②

2009-09-01 23:27:29 | その他
明石氏がミャンマーなどの国外取材に積極的でないどころか、
はっきり腰砕けであることが
僕の中で疑念を大きくしたのですが、
実はあがってきた原稿にも色々と問題がありました。

彼の原稿が大きく事実を曲げようとしている点は
多くは、ありません。
なぜなら、彼の原稿は、
取材で聞いたまま、
あるいはこちらが提供したままに近い原稿で、
「長井健司」という存在を追うノンフィクションや
ルポの視点を決定的に欠いたものでした。


はっきり言ってデータ原稿レベルのものでした。
僕らが提供したものや
聞いたまま羅列している感じなのです。
ただし、データではあるのですが
そのデータの取り方の偏差が偏っているために
このまま本になると
読者に大きな誤解を招きかねない記述もありました。
これは、過去にあった
イラクの人質事件について
長井さんが過剰に思い込んで
俺が行かなければという流れで
書かれている文章があります。
マスコミ報道の仕方に違和感があり
そこで自分がやらねばと長井さんが
考えたという
いわゆる「自己責任論」に
長井さんが踏み込んでくる話です。
長井さんがそういうある意味、思想的な立場やスタンスが
顕著なジャーナリストなら
そういう風に書いても普通とは思いますが
僕を含めて大半の周辺関係者は、
イラクの人質事件での長井さんのそのような反応を
聞いたことが一度もありませんでしたし、
通常の長井さんの言動からすると
首をかしげるような話でした。
明石氏の主張では
長井さんと行動を共にしていた研究者より
聞いた話だということでしたが、
僕自身はその方のバイアスがかなりかかって
こういうエピソードになっている感じが強くしましたし、
明石氏自身が長井さんを捉えそこなって、
長井さんの戦地へ赴く取材動機を
無理矢理ひねり出したような感じでした。
長井さんはなんというか
取材という行為そのものに純粋にのめりこんでいく
タイプですが、
あまりそこに理屈を考える人ではありません。
彼の作品をなくなってから何度も見ていますが、
戦争に対しての嫌悪感や
アメリカに対しての疑問は、はっきりとあるものの、
旧来の左翼的な感覚のジャーナリストとは
かなり違います。
もちろん、僕も長井さんの全ての言動を
知っているわけではありませんが、
彼の人生をきちんと描こうとすると
いろんな取材を総合的に描きながら、
全体として、どういう比重をつけて書くか、
思考しながら書き進めなければならないと思います。
僕は明石氏のここの部分の原稿は
そうした思索を細かくおこなわずに
書いていることが明らかだと思います。
このエピソードを話したという研究者の方は
一番最初に会の署名活動に協力をしていただきましたが
その直後から、会とは事実上没交渉です。
当時、この方は長井さんがなくなったことに
かなり感情的にショックを受けられているのが
顕著で、
エモーショナルに長井さんのことをいろいろと
思っていらっしゃったのだと思います。
そこをどこまで書込み
どこまで精査するのかは
むしろ書く側の立場の問題で、
これは、明石昇二郎というルポライターの
嗜好性が、このエピソードを大きく扱わせた感じがしています。
明石氏もこういう感じが好きなのだとしか
僕には思えませんでした。
当時、この原稿部分は決定的にまずいと思い、
何度も何度も直すように言いましたが
口では「そこは削ります」などといいながら、
直し原稿はほとんど変わらない状態が続きました。
こういうダメな部分をきちんとしない
明石氏の確信犯的ずぼらぶりは、
僕にはさらに不信感を募らせました。

もう一つは、結末のエピソードです。
当時長井さんと僕と同じ番組いたADで
今、テレビのディレクターをしている人間に
長井さんの志を継ぐような
エピソードを語らせている部分です。
彼は、もちろん長井さんのことは大切に思っていて、
その死にはいろいろと感じていることも
多いのですが、
本人が長井さんとは志向性がかなり異なるタイプの
ディレクターで、
彼が長井さんに影響を受けて
その志を継ぐような記述にするのは
彼の現在の状況や今後のテレビ人生を考えても
かなり無理のある話です。
というか、ほとんど明石氏の勝手なつくり的になる部分です。
これは、僕が
長井さんの署名運動に若い人が関わってきていて、
長井さんの行動を若い人が理解してくれている状況がある
という話を明石氏に当初のころにしています。
この僕の枠組みを文章化しようとして、
たぶん取材が不足しているため、
うまいエピソードに当たらず、
彼に最後かたらせて終わるという
かなり無理な手に出ていると思います。
長井さんも彼も知る僕を含めた周辺関係者は
かなり違和感をもちますし、
彼自身も「結末を僕が背負うのは無理です」と言ってきています。
これも具体的に明石氏に言いましたが
やはり直しません。
たぶん、他の結末が彼は思いつかないのです。
本の中でエピローグは言うまでもなく大切で
その点からも、実はかなり無理ある原稿です。


他にもテクニカル的に聞こえることですが
原稿上、長井さんのことを「健司」と
呼び捨てにして
「健司はこう思った」的な文章になっていることです。

はっきりいってご両親以外の
世の中の大半の人は
彼のことを「健司」という単語で認知していません。
「長井健司」でしょうし、
文章中だと「長井さん」だと思います。
多くの人に読んでもらうことを前提にする時、
さらに文中の大半の登場人物も
「長井さん」という単語で認識しているのに
あえて「健司」という単語を使用したがる
明石氏の感覚は僕には理解できませんでした。
これも何回も直すように言ったのですが
明石氏は「じゃあ直しますよ」と口で言うだけで
一向に原稿は直されません。

こういうことを踏まえて、僕はこの明石というライターが
多くの人に受け入れられるものを
あえて書きたがらない類の人間かもと思いはじめました。
僕の中で、疑念から、具体的な困惑になり始め、
「これはきちんと仕上がらないかも」という不安が強くなりました。

元々、できれば十万部、でもまあ数万部、最悪でも一万部を
超える書籍にする、
かなりの話題にして、
映画化やテレビドラマ化まで仕掛けられないのかと
腹案があったのと
明石氏の原稿のレベルに大きな落差がおきていました。
本と署名活動が連動し、
大きな仕掛けになり、長井さんのカメラのことを
取り戻す動きを強くしたいという感覚どころの
話ではありません。

これは、僕個人の感想にとどまりません。
会の活動を共に大きくサポートしてくれた
宗教学者の島田さんとも
何回も原稿読みを繰り返しました。
感想は僕よりもシビアで
「面白くないから売れないよ」
「この原稿のままだと全く普通の人に届かない」という状態です。
僕は何度となく、明石氏に原稿を直そうといいましたが、
彼には僕の言っている意味が伝わらず、
僕の困惑は深まりました。

明石氏は僕より年配で、仕事のキャリアも長い人です。
プライドも高い人です。
そして恐らく、自分を客観的に見られない人です。
僕の言い方がうまくなかったのかもしれませんが
本当に彼は理解しませんでした。

いや、理解したくなかったのかもしれませんが。
自己否定を突きつけているようなものですから。

僕は集英社ではない大手出版社で
明石氏を知る雑誌編集長などに
「どうすればいいだろう」と相談も続けていました。
その編集長はいつもドライな人で
「あなたが悪いよ。
明石がそんなに柔軟なことができるはずがない。
常識だよ。
明石に発注したことが間違いだよ。」

僕は大きくため息をつきました。

(この項、さらに不定期に続く)