「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

日本と世界のリアル状況確認と僕の思索を書き留めるブログ。
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「泣けてくるぐらい、ここには何もないよ」

2011-01-16 13:43:29 | その他
きのう午後、護摩壇を焚いたことにより、
本当は気づいていたのに、気づかなかったこともわかる気がしている。

「泣けてくるぐらい、ここには何もないよ。」

禍禍しいものも、頼るべき縁も、核になるものも、
ここには、なにもいないという。

虚無。

強いものも、恐れるものも、災いも、
ここには何もないという。

空虚。虚無。

「何かまずいものが通ってきていても、ただ通りすがるだけ。
引っ掛けられる人はいても、それはそのときのことだけ。」

「何もないから支えるものもない。
支えがなくてがけの上にいるから、弱い人からずり落ちることもよくある。」

「本当に何もない。ここを愛している人は本当に一人もいない。」

「公共の道路を歩いているような感覚。メーカーの工場でもまだ何かいますよ。」

「とりあえず身近なところから守っていくしかないと思うよ。」

護摩が終わった後、僕から、彼へ返した言葉は、

「ここが空虚であることは、その機能から考えて、その影響は日本全体におよびますよね。
ここが空虚であることと、今の日本が空虚であることは、シンクロしている気がします。
ここの名前は、ある意味、名だけですが、国の映し鏡でもあるとも思いますから。」

全体が空虚であり虚無であるということは、
自分の立ち居地を、
新たに自分が構築せねばならいという感覚に思い至る。
闘う相手が実体としては不在であるという認識を確認したことも
僕の心のある部分でのパラダイム転換も不可欠なのだろう。
自分が「虚無への供物」的感覚にいた訳だろうし。
恐らく、自分から身近な周りへと広げて、
さらには組織全体に実を抽入しなければならない。
自分を新たに築くこととから
全体を新たに築くことに移行していかねばならない。

どちらにしても、新たな創造に向かわねばならない。
強固に持続しておこわなければならない。

日本のためにも。

追伸

そして、この後、夜、
菅のブレーンと赤坂で密談した。

「君と僕とはいろいろなところで意見が違うけれども、
結論だけはおなじなんだよ。
このまま放置して、すべてが終われば、まったくの虚無。
何もない空っぽまま。空虚な日本だよ。
それを阻止しなければということだけだよ。
君と僕との同じ想いは。」

空虚な日本。
その虚無の広がりを何としてもくい止めなければならないだろう。
それだけは、強く思う。

僕の根幹的な仕事だと思っている。