阪神からの監督要請をいかにうまく断るか―。2001年のオフ、「今年、監督を辞めたばっかりで、すぐにまた監督をやるのは中日にも失礼」と話す仙さんのために、私は〝妙案〟を思いつきました。
阪神では掛布雅之、江夏豊、田淵幸一と名のあるOBたちが事実上、ユニホームも着れず球団からないがしろにされてきました。そこで「この3人の誰か名前を出せば、オーナーの久万さんも絶対ダメというだろう、あきらめるだろう」と考えた私は、「『田淵をコーチで入れることが可能なら監督を引き受けます』という言い方をしたらどうか」とアドバイスしたんです。仙さんも「よし、それでいこう!」と賛同してくれました。
この話が出たのは12月初旬、岡山で行われた仙さんのチャリティーゴルフ大会でのこと。一緒にコースを回った田淵は「僕が阪神のコーチになることはありえないですよ。僕はもう追放されてますから」と笑っていて、仙さんと私も「そうだよなあ、ないよなあ」と話し合っていたんです。ところが、全くそうではなかった。
その月の中旬ごろ、仙さんは久万オーナーと会談。シナリオ通りに「田淵をコーチで連れていけるなら監督を受けてもいいです」と注文を付けたところ、まさかのOKが出てしまったんです。しかも「コーチ人事も補強も全部好きにやってくれたらいい」とのお墨付きまでもらって…。さすがの仙さんも、仕方なしに監督を引き受けることになるんです。