書くことのススメ~モノの呪縛
珍道具がどういうモノか、大体わかっていただけたでしょうか?普通の発明とは全然違うという事は何となく理解して頂けたと思います。
最近よく思うのは、いまの
手持ちの科学だけで、そろそろ神がいないという事を証明できるんじゃないか、という事です。
ちょっと想像してみてください、もし神が不在だと証明されれば人類は途方もない後悔を背負い込むことになるでしょ。
これまで人類史上で、どれだけの精神的なエネルギーを含めて膨大なエネルギーを神(宗教)のためにつぎ込み、また一体どれほど多くの人がそのために命を失ったか。それが全部間違ってたんだと判ったら、人類はたいへんな後悔を抱え込むことになる。そうすれば、人間は神のために生きているのではなく、人間のために生きなければならないということがわかってくると思うんですね。
開発途上国に井戸を掘り、カンボジアの地雷を取り除くというように、
人間が人間のために生きる。
そうあるべきだと思うんですね。
本来、日本人は西洋と違ってキリスト教のような絶対神による呪縛はありません。
アメリカではいまだに
ダーウィンの考え方(進化論)を否定する人達がいる事でもわかります。
つまり日本人は宗教的にはゴッタ煮だから、もっと自由な発想とかが出来るはずなんです。
この自由な発想を育てることが大切なんです。例えば、僕は
命(医療)と教育はすべて無料にすべきだと思う。教育そのものが上流とか中流を作っている。
医療も上流、中流を作っている。これはおかしいでしょう。
それに、本来の教育が充実すれば
どっかの時点で子供たちは勉強が面白いって気づくはずなんです。
これこそが極端に言えば国のあり方を決めるはずなんです。
でも、今は教育さえもお金を儲ける手段になっていますよね。その構造がダメなんです。
命と教育は国家の責任だという事です。
高速道路なんかなくてもいいから、こっちを先にやるべきだと思う。
最近、僕と同世代の人に
「本を書きなさい」と薦めています。本でなくてもいい。ブログでもいいから、とにかく文章を書きなさいという事です。
つまり、モノを書くということは
自省して、総括して、自分のあり方、自分の生き様を考えるわけですから、書くという行為が大切なんです。
自分でしっかり考えることは、今からだって出来る。それを書き記して、それが本になればいいけど、本にならなくてもその過程、総括する過程が大事なわけですから。
よし、本を書いてみよう、と思う人、絶対いいですよ!僕はそれを薦めたい。
何だっていいんです。
自分史などでもいいし、書くことがなければ、書くことがないその
空白を文章にすればいいんです。
けれども、色々な人、それぞれ様々な体験をしてこられたと思いますけど、その経験を
系化(体系化)しないと意味がない。
例えばここに万年筆を一杯集めてるコレクターがいるとしますね。でも、何百本持っていようと、ただ持っているだけでは子供のメンコと同じなんです。
モノを集めるだけでは知的な、精神的な営為は入ってこないでしょう。だからそれを系化する努力・作業をしないとダメだという事です。
何でもいいです。素朴な疑問~この万年筆はいつの時代の物? 知りたい欲求~何でこの形が出来たのか? この思考がただの収集を別のものに変える。
モノにはものすごく魅力がありますから、せっかく自由な心であろうとしても、人はそのモノに縛られてしまう。何百本の万年筆のコレクションがあっても、外で飲んで帰ってきて、家が火事でみんな無くなってしまったらもう終わりでしょう。だから収集だけで終わっていたらダメなんです。
自由な心のあり方、自由なものの捉え方、自由な行動・・・それらが1番大切なのにそれを妨げる最大の要因が「モノ」なんです。
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歩行中ドライヤーおかま
~朝シャンの後、外出する時は重宝する。靴底の空気ポンプからの
空気で濡れた髪を乾かす。もちろん急ぐ時はダッシュだ!
前にも少し触れましたが、10代の女の子がワンルームマンションに住んで、ヴィトンのバッグを買うために体売って、しかもローンを払っている。
こんなバカな国はないですよ。モノとかコレクション、ブランド、こういうものって何かっていうと、要は自分のアイデンティティをモノに託しているんですね。
自分が自分であるという確信をそのモノに頼ってる。それを持っているのが自分だと思うのは、精神的にも不健康ですよね。
モノに自分のアイデンティティを託すことほどバカげた事はありませんよ。無人島に行ったって本来、自分のアイデンティティは変わらないはずでしょう?
もう一度繰り返しますが、
「モノ」というのはすごく魅力があるから、ある意味
「拒絶し続けなければダメ」なんです。
所詮、モノはモノでしかない。そんなモノに自分の存在を託して、自分が生きている意味までモノにすがって生きるというのは間違っていますよ。
この前、僕の外国での翻訳の本をを担当している代理店の人と話していて思ったんですけど、
本当に自由になる、目もくらむような自由になると、知的な人間じゃないとそれを楽しめない、その中で生きる事は出来ない。
もし、そんな自由があったら、ほとんどの人は生きられないだろう。もし、唯一生きられる人は宗教を持っている人じゃないか、みたいな話をしました。
宗教、つまり神は自由を奪ってくれますから。
する事、考える事、価値観とか全部神が決めてくれる。楽でいいですよね、考えなくていいわけですから。
でも、それじゃ人間じゃなくなるでしょう。
とにかく人間は、仮に苦痛であっても自由でないといけない。だから僕は宗教なんて必要ないと思っているんですよ。
そろそろ神がいないという事を証明できるんじゃないかな、と考えているんです。だから僕は
ニーチェに勝ってる。
あの人は
元々は(神が)いたんだけど、それから
「死んだ」と言った。
僕は元々いないんだからさ(笑)
いずれにせよ、僕が提唱する珍道具も、逆理のテーゼも、すべて
人間が自由になるための発想法のひとつなんです。
この春に
韓国のソウルで珍道具の大展覧会を予定しています。機会があれば、ぜひ見にきて下さい。
あと、来月2月末ごろには「Sonny Town(仮)」というショッピング・タウンとエンタメ・タウンを合体させた、日本で最初のサイトをオープンする予定なんでこちらもよろしく!
ショッピングの方は家庭用品・健康食品・グルメ・スポーツ用品・エクササイズ等のフロアもあるし、エンタメ・タウンの方は、珍道具を中心にしたやわらかアタマの部屋・脳を鍛える部屋・ペットのお見合いの部屋とか面白いものを色々作る予定です。
ぜひ、みなさんも自由な発想を楽しんでください。
「日本珍道具学会」とは~珍道具十箇条←最初から読む
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『逆理の発想』シリーズ紹介